想像・象徴・現実


1 総説

ジャック=ラカンによれば我々が認識するこの世界は「想像界」「象徴界」「現実界」というそれぞれ異なった3つの位相によって構成されているといわれる。

想像界は感覚器官が捉えるイメージの世界であり、象徴界は言語で構成された世界である。これに対して現実界とはイメージや言葉で把握する以前の〈もの〉の世界である。

2 主体生成における想像・象徴・現実

まず、想像界は生後6〜18ヶ月の「鏡像段階」において成立する。ここで子どもは「鏡に映った自らの像=他者」を通じて「自我」を獲得する。

次に、象徴界はエディプス段階において成立する。「母親=〈他者〉」の現前不在を統御する「法=〈父の名〉」が機能することにより、子どもは「言語=無意識」と「欲望=ファルス」を獲得する。

一方、現実界は「欲動の対象=対象 a 」を通じてその一部が回帰する。子どもは〈他者〉と関係する事で、その外部に主体として「疎外」されつつ「対象 a 」を切り出すことで〈他者〉から「分離」を果たす。こうして子どもは「享楽(の残骸)」を獲得し「対象 a 」は「欲望の原因」として機能することになる。

3 分析関係における想像・象徴・現実

分析家は無意識を詳らかにして「〈もの〉=das Ding」の極限を示す分析家の欲望を持って分析主体に対峙し、分析主体の語りの中に垣間見える「無意識の形成物」を強調する。

分析家が分析主体の中にとっての「無意識のスクリーン」として機能する時、分析主体は分析家を「知を想定した主体」と見なし、「転移」が誘発される。ここで分析家の位置は想像的水準から象徴的水準に遷移する。

「知を想定した主体」とみなされた分析家は、分析主体から転移感情に駆られた様々な「要求」を突きつけられるが、分析家は分析主体の「要求」をそのまま受取らない代わりに「解釈」をもって応答し、分析主体の欲望を弁証法化していく。

こうして分析家は分析主体の「欲望の原因=対象 a 」としての位置を取り、分析主体の「欲望のあり方」である「根源的幻想」を析出する。ここで分析家の位置は象徴的水準から現実的水準へと遷移しているのである。