実存と構造--サルトルとレヴィ=ストロース


1 実存主義の萌芽

近代哲学を創建したルネ・デカルトはあらゆる存在を一旦疑うところから自らの哲学を立ち上げた。その結果、デカルトはこの世界に確実に存在していると断言できるものは「今ここで疑っている自分」だけであるという懐疑論に到達した。これが有名な「われ思う、ゆえに、われあり(Cogito ergo sum)」というコギトの命題である。そしてこのコギトの深淵にデカルトは、カトリック神学とは別の形而上学的概念としての「神」を見出した。

これに対してイマヌエル・カントは、こうした意味での「神」の存在を論理的に証明不可能な領域である「アンチノミー」の中に封じ込めて、論理的に証明可能な領域だけを問題にして理路整然とした哲学体系を構築した。そしてゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは「神」に代わる人の倫理の源泉を「個人」と「社会」の対立を弁証法的に止揚する「国家」の中に求めたのであった。

こうして完成された近代哲学の世界観は19世紀ヨーロッパにおいて圧倒的な影響力を行使した。けれども、ここから近代哲学へ叛逆する思想が徐々に生成されていくことになる。例えばセーレン・キェルケゴールは「国家」に頼らない「単独者」としての孤独な人間について考察した。またフリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と断じ去り、今あるべき人の道として、孤立を恐れず我が道を突き進む「超人」への進化を力説した。ここに近代哲学へのアンチテーゼ、すなわち「実存主義」の萌芽を見ることができる。


2 実存主義の台頭

20世紀において「実存主義」はまずは文学運動として台頭した。アルベール・カミュの「異邦人(1942)」では、主人公、ムルソーという世間的共同体から逸脱した人物が不条理な理由で人を殺し死刑になる。つまりここでは孤立した実存として世界に向き合う近代的主体の闇が描かれている。同作はセンセーショナルな反響を呼び、カミュはノーベル文学賞を受賞した。

これに対してジャン=ポール・サルトルの「嘔吐(1938)」では主人公、ロカンタンがひたすら哲学的に省察する過程が脈絡もなく記されていく。足元に転がる紙屑を見て、このゴミと自分の関係とは何かなどと考え出す主人公の姿は端的に病気以外の何者でもないが、当時はこれが新しい文学だともてはやされた。同作はのちのフランス文学の潮流となるヌーヴォーロマンの起源となった。

このようにカミュとサルトルは共に実存主義の推進者という点で共通する。けれども両者は以下の点で相違する。カミュの実存主義は不条理という苦悩を抱えながら孤独に生きるしかない個人という、いわば「閉じた実存主義」を提示した。これに対して、サルトルの実存主義は不条理という苦悩を抱えながらも社会参加(アンガージュマン)の道を探っていく個人という、いわば「開かれた実存主義」を提示した。


3 実存は本質に先立つ

1945年に行われたサルトルによる「実存主義はヒューマニズムか?」と題する講演は「実存主義」という言葉を世界的に有名にした。この講演においてサルトルは次のように言う。

いま仮にここに1本のペーパーナイフがあるとする。これがどのようにして作られたのかというと、職人がまず頭の中にこれから作るペーパーナイフの姿を、いわばその「本質」を思い浮かべてから制作に取り掛かったはずである。すなわち物品の場合、その「本質」は「実存」に先立つ事になる。

ところが、人間の場合は全く逆である。もし神が天地の創造者だとすれば、神は一人の職人になぞらえることができる。そうであれば神は人間を創造する前に、自分がこれから作り出す人間の「本質」をあらかじめ知っていなければならない。従って人間の「実存」に先立ち、神の思考のうちに人間の「本質」が存在しなければならない。

けれども、今ここで仮に神の存在を括弧に入れるのであれば、全ての人間に共通した一つの「本質」というものが始めに存在することはあり得ないことになる。したがって人間の場合は物品の場合と異なり「実存は本質に先立つ」と言わねばならない。

そしてサルトルは人間の「実存」とは一つの企てであるという。すなわち、事物が単に「あるもの」で「ある」に対して、人間は、自分が現に「あるもの」で「あらぬ」ように、かつ「あらぬもの」で「ある」ように、自己の外にある彼方へ向かって常に「自己」から「脱出」していく「脱自」的な存在であるという事である。

このようにサルトルの実存主義は、本来、実存というものはいかなる本質からも規定されない無限の自由を持っているけれど、それだけでは孤立してしまうので、実存は自分の意思によって主体的に社会参加して、多くの人と連帯して理想の社会を切り開いていかなければならないと主張するものである。


4 構造主義の登場

こうしたサルトルに代表される「実存主義」に対して真っ向から鋭い批判を提起したのがクロード・レヴィ=ストロースに代表される「構造主義」であった。

レヴィ=ストロースは学位論文「親族の基本構造(1949)」において従来の人類学において難問とされていた2つの謎を解明した。その一つは「インセスト・タブー」と呼ばれる、なぜ近親間で婚姻が禁止されるのかという謎である。そしてもう一つはなぜ多くの部族で「平行イトコ婚(母の姉妹の子ども、父の兄弟の子ども)」が禁止され「交叉イトコ婚(母の兄弟の子ども、父の姉妹の子ども)」が奨励されるのかという謎である。

ここでレヴィ=ストロースはロマーン・ヤコブソンの音韻論を手掛かりに理論を構成し、これをブルバキ派の現代数学によって論証したことで、世界中の様々な親族関係を規定する一連の規則的な変換パターン、すなわち「構造」の存在を明らかにした。

「構造」の発見は、それまで素朴に信じられてきた「進んだ西洋社会」と「遅れた周辺社会」という西洋中心主義的世界観を転倒させることになった。周辺社会の人々が現代数学でようやく解明できた「構造」に基づく思考によって親族関係を作り上げていた事が明らかになり、もはや知的レベルの優劣で西洋社会と周辺社会を区別する事は適切ではなくなった。そしてこうした「構造」に基づく思考をレヴィ=ストロースは「野生の思考」と呼んだ。

この点、サルトルによれば主体的決断の「正しさ」はマルクス主義という「現代的な思想」が明らかにした「歴史」の審級によって保証されるとされる。けれどレヴィ=ストロースに言わせれば、その「歴史」の「正しさ」など「構造」という点では周辺社会の部族民の掟と何ら変わらないということである。


5 神話という構造

またレヴィ=ストロースは神話の中にも「構造」を発見した。神話の体系の中では同じ構造が何度も繰り返されたり、同じ条件下においては異なる神話の体系の中に同じ構造が出現することがあるのである。

こうした神話の構造は当時の人々の潜在意識によって規定されることになる。例えば「父殺しの物語」が何度も反復されるのは政権交代という潜在的願望であり、各地の沿岸地域に魔物退治の物語が現れるのは海賊撃退という潜在的願望の現れということである。

そして神話体系というものは長大な年月を扱った年代記になっており、近代小説のような「主人公」はいない。各年代のエピソードには中心となる「英雄」が出てくるけれども、長大な年代記の全体を眺めれば小さな「英雄」がずらりと並んでいるだけである。つまり神話とは「大きな物語(枠物語)」の中に「小さな物語(エピソード)」が詰め込まれている「幕の内弁当」なのである。

つまり、いかに悲劇的なエピソードであろうとも神話体系の全体から見れば何度も繰り返されてきた「よくある話」でしかない。神話体系の中で実存の苦悩は構造の中に回収される事になる。


6 苦しみを乗り越える輝きの在り処

この点、実存主義はかけがえのない生を生きる個人の主体的自由を寿いだ。しかし構造主義が暴き出したのは実存という虚構と構造という現実であった。

実存は構造に規定されている。これは一見、身も蓋もない救いなき到達点のようにも思えるが、他方で構造とはある種の「救い」ともなる。
 
この点、実存主義とは全ては「自己責任」という考え方である。例えば様々な失敗と挫折の結果、今あなたが不遇な人生を送っていたとしても、それはあなたの実存的選択の結果でしかない。要するに実存主義とは「勝ち組」に優しく「負け組」に厳しい思考モデルとも言えないか。

これに対して、構造主義とは全ては「自己責任」という考え方から我々を解放してくれる。人生とは実存的悲劇ではなく構造的喜劇に過ぎない。仮に今あなたが不遇な人生を送っていたとしても、それはあなたの実存的選択の結果などではなく構造的反復の結果でしかない。要するに構造主義は「負け組」が自身の生の中に「救い」を見出すことのできる思考モデルなのである。

そしてこうした構造を見晴るかす事ができた時、我々は構造へ「介入」することが可能となる。そこから「ある構造」から「別の構造」へと生成変化していく「差異」が生み出される。そしてこの「差異」の中にこそ我々は、構造を乗り越える実存の在り処を、苦しみを乗り越える輝きの在り処を、再発見する事ができるのではないか。




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