構造と狂気--フーコー


1 固定観念の解体

人は知らず知らずのうちにある種の固定観念で世界を捉えている。その固定観念の枠内にいる限り、時としてその世界は非常に生き辛いものとなるだろう。こうした固定観念を解体するには、その固定観念が歴史的に生成されてきた過程を解き明かす作業が必要となる。こうした「知の考古学」の実践者として知られるのが構造主義/ポスト構造主義を代表するフランスの思想家、ミシェル・フーコーである。

フーコーは事実上のデビュー作である博士論文「狂気の歴史(1961)」で、その表題通り「狂気」が歴史的にどのように取り扱われたのかをテーマにしている。同書によれば16世紀のルネサンス期までは社会は狂気に対して極めて寛容であり、街中の至る所に「狂人」が闊歩し、狂気は人々の日常の一部となっていた。ところが17世紀中葉、フーコーのいう「古典主義時代」になって状況が一変する。大規模な収容施設がヨーロッパ中に作られ、そこには貧困者、怠け者、性病患者、濫費家、堕落した聖職者など、いわゆる「社会不適合者」と見做された人々が隔離される。こうした人々の中に「狂人」も含まれることになる。

「古典主義時代」は一般に「啓蒙の時代」と言われ「理性」に対する信頼が極めて大きかった時代である。ところがフーコーはこうした「理性」の支配は「非理性」を自らのうちから排除して、これを従属させることによって成立しているという。

そして18世紀末「古典主義時代」が終わり「近代」が幕をあける。そして近代において狂気とは「精神の病」とされ、医学や心理学による「治療の対象」となり今に至っている。こうした歴史を紐解いていくことで、フーコーは狂気をそれ単独で理解するのではなく、社会全体のレベルで排除と包摂の相補関係という「構造」において捉えようとする。こうしてフーコーは構造主義の思想家として世に知られることになる。


2 構造主義の司祭

構造主義者フーコーを一気にスターダムへと押し上げたのが、構造主義の最盛期に出版された「言葉と物(1966)」である。同書を貫くキーワードは何と言っても「エピステーメー」だろう。元々のギリシア語では「真の知識」を指しているが、フーコーはこれに独自の意味を持たせ「言葉と物」における「エピステーメー」とは、認識、思考とった知的活動を秩序づける視座や基盤のようなものを指している。

  この点、フーコーはこの「エピステーメー」は時代に応じて変化しているという。ここでも「狂気の歴史」におけるルネサンス、古典主義、近代の歴史区分が持ち出されることになる。そして、フーコーは、ルネサンス期のエピステーメーは「類似」ないし「相似」であり、古典主義におけるエピステーメーは「同一性」と「相違性」であるとした上で、近代におけるエピステーメーこそが「人間」であるとフーコーは言う。

ここでいう「人間」とは人間に対する一つの見方のことをいう。ここでフーコーが想定しているのは、カント的な経験的=先験的(超越論的)二重体としての「人間」である。あらゆる経験可能なものが認識可能なものになる場。こうした「人間」を前提として成立したのが生物学、経済学、言語学といった人間諸科学である。

ところがフーコーは「近代の終わり=現代」において「人間の死」を宣言する。ここが同書のハイライトと言える。ここでフーコーは、構造言語学、文化人類学、精神分析学などの当時を代表する構造主義諸科学に「人間」を終焉に導く可能性を見るのである。

この本は極めてマニアックな内容にも関わらず、当時、菓子パンのように売れたと言われ、フーコーは「構造主義の司祭」とまで持ち上げられた。


3 構造から権力へ

ところが1968年に起きたいわゆる「パリ5月革命」を契機として、フーコーは構造主義から離脱し、いわゆる「権力論」へと転回する。

フーコーは1970年、アカデミズムの最高峰「コレージュ・ド・フランス」の教授に就任。その一方で「DIP(監獄情報グループ)」の政治活動へと身を投じる。この成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」である。同書においてフーコーは刑罰史を紐解きながら「権力」のあり方がどう変化したのかを解明していく。

  近代啓蒙思想は絶対王政下における非人道的な身体刑を排して人道的な自由刑を導入した、というのが一般的な刑罰史のイメージであろう。確かに近代啓蒙思想は、権力の恣意的な行使を制限し「法の支配」「罪刑法定主義」「被告人の人権擁護」などを打ち出し、刑罰体系に大きな変革をもたらした。

けれどもその一方、実際の刑の執行においては近代啓蒙思想とは全く無関係な出自を持つ「規律」と呼ばれる様々な人間管理の技術が駆使されているとフーコーは指摘する。そしてこの様々な「規律」によって生み出されるのが「規律権力」である。

一般に権力という場合「上から下」への暴力的強制による支配としてイメージされる。ところが「監獄」における規律訓練の結果、囚人に生じるのは「常に監視されている」という視線の内面化であり、ここでは権力は「上から下」への外在的な支配ではなく、むしろ「下から上」への内在的な欲望として作動していることになる。

この規律権力を発動させる上で最も効率的な施設がイギリスの功利主義者ジェレミー・ベンサムによって考案された「パノプティコン(一望監視施設)」である。これは囚人を個別に空間配置し、できるだけ少数の監視者で、できるだけ多くの囚人を合理的に監視するシステムである。

そして、フーコーによれば、こうした権力のあり方は監獄だけではなく、学校、工場、病院、軍隊など、近代社会におけるあらゆる閉鎖空間の中に見出される。つまり、監獄はこうした様々な場で行使される近代的権力のモデルとなっているということである。


4 規律権力と生権力

そして「監獄の誕生」出版の翌年、フーコーは「性の歴史」の第1巻として「知への意志(1976)」を公刊し、権力論をより広範な範囲で展開し始めた。ここで提出されたが「生権力」という概念である。

生権力とは人の生命を保証して秩序立てていく、文字通り「生命への権力」というべきものである。そして現代社会は規律権力と生権力が相補的に絡み合って並走することで成立していると言える。すなわち、我々は規律権力によってシステムに従順なイヌのように躾けられ、生権力によってシステムを回し車のごとく回し続けるネズミのような生を余儀なくされているとのである。

安全で清潔で快適な社会を我々が至上善とする限り、人はどこまでも「権力」から逃れられない。けれどもその「権力」の行使において「目的」と「手段」がどこまで合理的な関連性を持っているかという事は不断に問い直されなければならないだろう。その際に必要な態度が、まさしく「それはどこからやってきたのか」というフーコーの「考古学」的な思考に他ならないということである。




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