構造と力--ドゥルーズ=ガタリ
1 構造主義の栄華と動揺
1960年代中盤、構造主義の栄華は頂点に達した。この時期に公刊されたラカンの「エクリ」とフーコーの「言葉と物」はいずれもベストセラー的売上げを記録する。そして、多くの知識人、文化人は自らを構造主義者であることを以て任じた。中には構造主義的再編でチームの成績向上を図るなどと言い出すサッカーの監督もいたそうである。ところが1960年代後半になると構造主義は早くもその栄華に陰りを見せ始める。こうした流れを決定的なものにした出来事が1968年に起きた「パリ5月革命」であった。
2 ポスト構造主義の登場
「68年5月」において学生たちが異議を申し立てたのは「Egalité! Liberté! Sexualité!(平等!自由!セクシャリティ!)」というスローガンが端的に示すように、大学や社会が押し付ける旧態依然とした父権主義的な「構造」に対してであった。ここで構造主義は「構造は街頭に繰り出さない」などとラディカルに批判されることになる。
そしてこの「68年5月」において人々が求めていた「何か」を理論的に昇華して構造主義に代わる新たな思想として提示したのがジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著「アンチ・オイディプス(1972)」である。同書は発売されるや否や若年層を中心に熱狂的に歓迎され、 1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こした。こうして「ポスト・構造主義」の時代が幕を開けることになる。
3 欲望する諸機械
同書において究明されたテーマは「欲望」である。ここでドゥルーズ=ガタリは「欲望する諸機械」という奇妙な概念を提示する。つまり「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「諸機械」に宿る非主体的、非人称的な力の作用のことを言う。
これら「欲望する諸機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだします。こうした矛盾した二面性からなる連続的プロセスをドゥルーズ=ガタリは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった表現で定式化する(哲学的にいえば、ここでは原子論的発想も有機体論的発想も、いずれも退けられているということである)。
ところで、この「欲望する諸機械」なる概念はガタリが提示した「機械-対象 a 」という概念に由来する。ガタリは69年の論文「機械と構造」において「構造」を重視する50年代ラカンを批判しつつ「構造を超えるもの」としての60年代ラカンが提出した「対象 a 」に注目した。
ただ、この時点でのラカンのいう「対象 a 」には「構造」それ自体を変革する契機は存在しない。ここでいう「対象 a 」はいわば構造の安全装置に過ぎない。これに対して、ガタリのいう「機械-対象 a 」は「構造」の中に侵入し、その因果を切断し「一般性」に回収不能な個々の「特異性」を切り出す機能を担う。すなわち「機械-対象 a 」はいわば構造の爆破装置ということになる。
こうして、ドゥルーズ=ガタリから言わせれば「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているということである。ここからドゥルーズ=ガタリは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出した。
4 精神分析と分裂分析
こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ=ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分する。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるという。
すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになる。
こうした意味において、幼児の多用多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイエディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、同書の立場からはラディカルに批判されることになる。
そして同書はシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めた。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在る。すなわち、この世界を分裂症の側からみるということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他ならない。こうしてドゥルーズ=ガタリは精神分析に対して独自の「分裂分析」を提唱した。
5 ツリーからリゾームへ
「アンチ・オイディプス」という本はニーチェの「力」やスピノザの「情動」といった原理を、マルクスがいう「生産」やフロイトがいう「無意識」の次元において「欲望」として考察した試みとも言える。分裂分析が目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム(根茎)」という概念へ昇華される。
「リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいう。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えている。これに対して、リゾームには全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなる。
こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ&ガタリは、旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのであった。
6 構造と力
オイエディプスの首を切り飛ばし、すべてをリゾーム的に思考せよ。こうした企てこそが、古い社会を解体して新しいポストモダンの地平を切り開く。こうしたドゥルーズ&ガタリのメッセージは革命の夢が潰えた時代の閉塞感に対する解毒剤となった。
そして日本でも「80年代ニュー・アカデミズム」という思想的流行の中でドゥルーズ&ガタリは多大なインパクトをもたらした。その導線となったのは言うまでもなく、浅田彰氏の「構造と力(1983)」と「逃走論(1984)」である。
当時、弱冠26歳、京都大学人文科学研究所助手のポストにあった氏は「構造と力」によって鮮烈なデビューを飾る。同書を貫通するのは「差異化」というキーワードである。浅田氏は同書の冒頭「序に代えて」でフランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロースが理念化した「冷たい社会」と「熱い社会」という分類を「差異」と「差異化」という二項対置へ抽象化した。
この点「差異」とはスタティック(静態的)な秩序であり「差異化」とはダイナミック(動態的)な運動をいう。そして氏は同書においてその表題通り、安定した「差異=構造」に対して、果てしなき「差異化=力」によって孕まれる過剰性を肯定していく。
こうした視野から同書の第Ⅰ部においては構造主義とポスト・構造主義のパースペクティヴが素描され、第Ⅱ部においては構造主義のリミットとしてフランスの精神分析医、ジャック・ラカンが位置づけられ、その後いよいよポスト・構造主義の大本命としてドゥルーズ=ガタリが登場する。
この点、同書はドゥルーズ=ガタリの「コード化」「超コード化」「脱コード化」という三段解説に依拠した上で、浅田氏は脱コード化を極限まで推し進め「内部」から「外部」に出よと力説した。
もっとも、オイエディプス的家族をはじめとする近代資本社会に実装された様々な「整流器/加速器/安全装置」は「脱コード化」を促す過剰の奔出をなし崩し的に解消して、同書が「クラインの壺」と呼ぶ無限循環回路へと還流させていく。腰を落ち着けたが最後「外部」は新たな「内部」になる。こうしたクラインの壺の中でなお「外部」へ突き抜けようとするのであれば、重要なのは「常に外へ出続ける」というプロセスに他ならないということである。
7 パラノ・ドライブからスキゾ・キッズへ
こうして同書終盤で示された「パラノイアックな競争/スキゾフレニックな逃走」というコントラストは浅田氏の次著「逃走論(1984)」において「若者の生き方論」へと接続された。
浅田氏は、多方向へ逃走しリゾーム的に生成変化する生き方をスキゾフレニー(分裂症)に喩え「スキゾ・キッズ」と呼ぶ。これに対して(体制/反体制にかかわらず)ひとつの排他的イデオロギーに執着する生き方をパラノイア(妄想症)に喩え「パラノ」と呼ぶ。「スキゾ」とは、いまここの現在をアドホックに「微分=差異化」し続ける生き方である。これに対して「パラノ・ドライヴ」とはこれまでの過去の全てを「積分=統合化」して囲い込む生き方である。
浅田氏は今こそ「パラノ・ドライヴ」の外に出て「スキゾ・キッズ」の本領を発揮し、メディア・スペースで遊び戯れる時が来たという。近代における「追いつけ追い越せ」の「パラノ・ドライブ」からポストモダンにおける「逃げろや逃げろ」の「スキゾ・キッズ」へ。こうした考え方は消費化情報化社会が爛熟し、バブル景気へと突入しつつあった1980年代中盤の日本社会の気分と見事に同調した。「スキゾ/パラノ」という言葉は1984年の第1回流行語大賞新語部門で銅賞を受賞。浅田氏は自らその「逃走」を実践するかのようにマスメディアの寵児となっていったのである。
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