分析心理学的批評Ⅰ
1 分析心理学とは何か
分析心理学とは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングが創始した心理学である。別名、ユング心理学とも言われる。よく「ユング心理学はコンプレックスの心理学」などと言われたりもする。確かにコンプレックスという言葉はユングによって有名になった。また実際、分析心理学の理論体系上でもコンプレックスは重要な位置を占めている。
けれども、それ以上に分析心理学の真骨頂はコンプレックスを超えた「自己」という概念にある。ユングは人が自らの「自己」を見出していく過程を「自己実現」といった。そういった意味で、分析心理学というのは「この生をいかに自分らしく生きるか」という「自己実現の心理学」だと言い得るのである。そしてユングその人もこうした「自己実現」の生の歩み手であった。以下、ユングの生涯を概観する。
⑴ 自分の中にいる二人の人物
ユングはスイス連邦のツルガウ州ケスヴィルで1875年7月26日に生まれた。父親のポールは優しいけれど頼りなく、母親のエミーリアは力強くエネルギーに満ち溢れた人だったようだ。このような両親像はのちにユングの理論において色濃い影を落としている。
幼い頃のユングは孤独に空想に耽るのが好きな内向的な子供だった。彼はその自伝の中で自分の中には二人の人物がいたと述べている。このような二人の人物に対してユングは「No.1」と「No.2」という呼び方をしている。普段のユングは「No.1」の人格を生きているが、時折顔を見せる「No.2」は「No.1」の意識的努力を超えたところで恐るべき働きをしたりもした。
こうした「No.1」と「No.2」の対抗的な働きはあらゆる個人の中で演じられているとユングはいう。もっとも多くの場合、人は「No.1」に同化して「No.2」の存在に気付かないふりをして生きているが、時には「No.2」から思わぬ叛逆を受けたりもする。そして、こうした体験はのちにユングの理論の中で「自我」と「自己」の関係として定式化されることになる。
⑵ フロイトとの出会いと訣別
1895年、ユングはバーゼル大学医学部に入学。大学での彼は優秀であり、卒業後は内科の道に進むつもりだったようだが、医師国家試験受験時にたまたま読んだクラフト=エビングの精神医学の教科書に感銘を受けて、当時医学の中ではまだ傍流であった精神医学の道を志す。
卒業後、ユングは長らく親しんだバーゼルの地を離れてチューリッヒ大学のブルグヘルツリ精神病院の助手となる。その指導教授は今日では精神分裂病(統合失調症)の命名者として知られるオイゲン・ブロイラーである。
ブルグヘルツリにおいてユングは主に精神病患者の治療に取り組んだ。ユングは当時の精神医学において了解不能と見做されていた精神病患者の精神世界の解明に心血を注ぎ、その研究は学会からも認められ、ユングは順風満帆にアカデミズムの世界で頭角を表していった。
ところでこの頃、ウィーンにおいてはジークムント・フロイトの創始した精神分析が注目を集めていた。ユングはブロイラーを通じてフロイトと交流を持ち、両者は程なく意気投合。フロイトは息子ほどに歳の離れたユングの才気に惚れ込み、自分の後継者として精神分析の未来を託そうとする。こうして1910年、ユングは新たに設立された精神分析協会の初代会長に就任した。
ところがフロイトとユングの考えは当初からその根本的なところで相異が生じていた。周知の通りフロイトは人の心的現実を基礎付ける動因を「性」の問題として捉えていた。他方でユングはフロイトの性理論には当初から疑問を持っており、むしろ患者の夢に現れる「神話」に注目していた。
ユングは精神病患者の空想や夢などの話を聴いているうちに、その内容が世界諸国の古代神話と極めて類似していることに気づき始めていた。一方でフロイトは神話研究に傾いていくユングに苛立ち、幾度も精神分析の「教義」たる性理論に忠実であるよう説得を試みるも、両者の距離はますます大きくなるばかりで、1913年頃にはフロイトとユングは決定的に決別してしまう。
⑶ 無意識の世界との対決
そして、フロイトと決別した頃からユングは謎の方向喪失感に陥り、不可解で強烈な幻覚や悪夢に襲われ続けることになった。その影響は日常的な臨床や研究にも及び、ついにユングはチューリッヒ大学の講師を辞任し、その後数年間にわたり、自身の無意識の世界と対決することになる。
ユングは無意識における凄まじい情動の嵐をイメージとして把握することによって静めようとした。こうした無意識に由来するイメージはある時は「老賢者と少女」として、またある時は「女性像」として現れた。
このような無意識との凄絶な対決に収束の兆しが見え始めた1916年にユングは自分の内面体験を「死者への7つの語らい」という小冊子にまとめ、匿名で個人出版した。ユングがその中年期になって体験した自身の無意識との対決は精神病とも類比されるべき凄まじいものであったが、この対決を生き切ることによって、彼は彼独自の心理学を形成していくことになる。
⑷ 曼荼羅の顕現
また、この頃にユングは自分の内的体験を様々な図形として描き出していった。ユングはそれを描きつつも、当初はそれが果たして何なのか理解できなかった。ところが後にユングは自分が執拗に描いていた図形が東洋における「曼荼羅」と類似していることに気づくことになる。
ユングは以前より、意識の中心である「自我」を超えた「こころ全体の中心」としての「自己」というべき存在を想定していた。ユングにとって「曼荼羅」はまさにこの「自己」の象徴として現れてきたのである。
ユングの歩んだ人生を端的に言い表すとすれば「母性(エミーリア/バーゼル)」からの自立を「父性(ブロイラー/フロイト)」への同一化で果たそうとして失敗し、ここから「母性の亡霊(幻覚や悪夢)」に悩まされ、その格闘の中で見出した「自己(曼荼羅)」に導かれた人生であったといえる。こうしたユング自身が経験した「自己実現」の過程を理論化したものが分析心理学であるとあるいはいえるかもしれない。以下、その概略を述べていく。
2 タイプ論
ユングは人の基本的態度を「外交的」と「内向的」に二分する。ある人の関心がもっぱら外界の事物あるいは事象に向けられている態度を「外交的態度」といい、逆に、内界のそれに向けられている態度を「内向的態度」という。また、ユングは上記の2つの基本的態度とは別に、人は各々得意とする心理機能を持っているという。これが「思考」「感情」「感覚」「直観」という4つの心理機能である。
こうして2つの基本的態度と4つの心理機能が掛け合わされ、8つの基本類型が出来上がる。これがユングのタイプ論である(この8つの基本類型はあくまでモデルであり実際はこれらの中間に属する人の方が多い)。
もっとも、こうした意識的な態度や機能が一面的になりすぎる時、それを相補うような形で無意識的補償が起きるとユングは指摘している。また、人は自分と反対の型の人に抗し難い魅力を感じ、彼/彼女を友人や恋人に選ぶ傾向も強いともいわれる。これは無意識的補償の外界における投影として理解される。
3 コンプレックス
我々が持つ「私は私である」という認識は、我々の意識を統合する「自我」という心的作用によるものである。ところが無意識内にはこうした自我の統合性を乱す心的作用が存在する。よく知られるように、ユングは言語連想実験を通じてこうした心的作用を発見し、これを「感情によって色付られたコンプレックス」と名付けたのであった。
コンプレックスは心的外傷経験や後に述べる元型的なものを核として、そこに様々な表象や情動が結びつくことで生成・肥大化と考えられている。
肥大化したコンプレックスは、ある程度の自律性を持ち様々な障害を起こす。これに対する自我の反応を「自我防衛」という。自我防衛の例として、自我がコンプレックスに同化する「同一視」や、コンプレックスを外界に投影し外的なものとして認知する「投影」などが挙げられる。
また、あるコンプレックスの裏には相反するようなコンプレックスがあったりもする。例えば「私は何の価値のない人間だ」というような劣等コンプレックスを抱えている人の背後には「私には私と同じような思いをしている人を救う使命がある」という優越コンプレックスがあったりして、この両者のうち自我に近い方が意識される。実際の心理療法やカウンセリングにおいてはこの両極を適当に連結させていくことが大事になってくる。
コンプレックスそれ自体は常に否定されるべきものではない。コンプレックスとは後に述べる「自己実現の過程」における一つの事象であり、それまで目を背けて来た未知の可能性の在処を示しているからである。
例えば、引っ込み思案な性格の人が攻撃性コンプレックスと向き合うことで、健全な活動性を獲得したりするなど、自我はコンプレックスと対決することで、より高次の領域において再統合を果たすことができるのである。
4 普遍的無意識と元型
さらに、ユングはある地域に伝承する神話やお伽話と、神経症者の夢や精神病者の妄想の間に共通項を見出し「普遍的無意識」という概念を提唱した。すなわち、人の無意識内には、その人だけが持っている無意識(個人的無意識)の他、万人に共通する無意識(普遍的無意識)が存在するということである。
上に述べたコンプレックスは個人的無意識の層に属する後天的に生成された精神力動作用である。これに対して普遍的無意識の層に先天的に存在する精神力動作用をユングは「元型」と呼ぶ。
元型そのものは我々の意識によって捉えることはできず、通常我々は、元型の存在を外界に投影されたイメージ(原始心像)によって知ることになる。典型的な元型としてユングは次のようなものを挙げている。
⑴ グレート・マザー
「グレート・マザー」とは「母なるもの」の元型である(太母とも呼ばれる)。「母なるもの」はその本質において「産み育てる」という肯定的側面と「呑み込む」という否定的側面を併せ持っている。
この点、ユング派分析家でもある臨床心理学者、河合隼雄氏は、いわゆる対人恐怖症は日本の母性社会的な特性に根ざしていると指摘している。また氏はグレート・マザーに取り憑かれた女性の病理として二つの危険な方向性を指摘している。一つは、肉の世界への下落、土なる母との一体化の方向であり、そしてもう一つは母となることをおそれ、自らの女性性を拒絶する方向である。
⑵ 影
「影」とは自我から見て受け入れ難い人格的傾向であり「生きられなかった反面」のことをいう。影は自我統制が弱くなった時に表面に浮かび上がってくることが多く、その極端な例は二重人格である。
また人は自分の影を否定するため、その影を誰かに投影するということは日常よく見られる傾向である。例えば自分と真逆の性格の友人がどういうわけかムカムカして仕方がないというのは、その人に自分自身の影を投影しているということである。
また影には「個人的影」の他に「人類悪」ともいうべき「普遍的影」が存在する。
⑶ アニマ・アニムス
男は男らしく、女は女らしくといったように、人は社会から一般的に期待されているペルソナ(仮面)をつけて生活せざるを得ない一方で、ペルソナ形成の過程で排除された男性の中の女性的な面、女性の中の男性的な面もまた同時に我々の中に存在し続けている。
前者をアニマといい、後者をアニムスという。アニマはエロスの原理、アニムスはロゴスの原理をそれぞれ内在している。
ある異性を見たらどういうわけかドキドキして目も合わせられないというのは、その人に自分の中にあるアニマ(アニムス)を投影しているからである。
影がいわば「生きられなかった反面」なのであれば、アニマやアニムスとはいわば「切り捨てられた魂の側面」ともいうべきものである。
⑷ トリックスター
トリックスターとは神話、伝説などに登場する道化的な役回りを担う存在で、かぎりなく悪に近い側面と、限りなく英雄に近い側面という両義的な性格を持っている。
トリックスターは二つの領域の境界に出没し、旧来の秩序を破壊して、新しい秩序を創造する役割を担ったりもする。その一方でトリックスターは紙一重で悪になったり英雄になったりします。こうしたトリックスターの持つ両義性は「自己」の持つ両義性を端的に表しているともいえる。
5 自己実現とコンステレーション
こうした「意識的態度と無意識的態度」「主機能と劣等機能」「自我とコンプレックス」「男性性と女性性」などといった、心の中で様々に相対立する葛藤というのは、ユングによれば、ひとえに「自己」の働きによるものとされる。
ユングは意識体系の中心をなす「自我」に対して、意識を超えた「こころ全体」の中心に「自己」という元型の存在を考えた。ここでユングのいう「自己」とは、心の中で様々に相対立する葛藤を相補的に再統合していく原動力であり、こうした再統合の過程を、ユングは「個性化の過程」あるいは「自己実現の過程」と呼んでいる。
この点、ユングによれば、ある個人の「自我」が自らの「自己」と対決すべき時期が到来した時、そこで生じている内的現実に呼応するような「めぐりあわせ」というべき外的現実が起きるという。それは例えば、ある種の精神の不調かもしれないし、あるいは人生における挫折や喪失といった出来事かもしれない。けれどいずれにせよ、こうした「めぐりあわせ」の裏には「自我」がいよいよ「自己」との対決を試みている努力の表れがあるということである。そこでユングは、このような内的現実と外的現実を「個性化の過程」「自己実現」に向けた一つの「コンステレーション(共時的布置)」として把握することを重視するのである。
このように分析心理学においては、心がその全体性の回復へ向け、相補性と共時性の原理により螺旋の円環を描く様相を「自己実現の過程」として捉えている。このユング的な自己実現はこれまで目を背けてきた諸々と対決していく荊の道であると同時に、日々生起する様々な困難の中に「意味のあるめぐりあわせ」を見出す道標ともなる。
こうした「意味のあるめぐりあわせ」を生かしていくには、かつてユングがそうしたように、この日常という「外的な現実」を懸命にやり抜く営みと同時に、心の中から湧き上ってくる「内的な現実」との対話を丁寧に重ねていく営みが不可欠であるように思われる。
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