社会学的批評Ⅱ


1 現実と反現実

戦後社会学を牽引した社会学者の見田宗介氏によれば「現実」という言葉は3つの反対語をもっている。すなわち「理想と現実」「夢と現実」「虚構と現実」である。そして見田氏はこれらの反対語を「反現実」と呼び、人の「現実」は「反現実」によって規定されるという。

こうした観点から、見田氏は、プレ高度成長期(1945年から1960年頃)を「理想の時代」として、高度成長期(1960年頃から1970年前半)を「夢の時代」として、ポスト高度成長期(1970年後半以降)を「虚構の時代」として、それぞれ規定した。

⑴ 理想の時代(1945年〜1960年頃)

理想の時代。それは人々がそれぞれの立場で「理想」を求めて生きた時代と言える。1945年のあの夏、終戦の灰燼の中から戦後日本は出発した。瓦礫と化した「現実」の中を生きて行くために人々はなにがしかの「理想」を必要とした。

この時代の日本の「理想主義」を支配していた大文字の二つの「理想」として「アメリカン・デモクラシー」と「ソビエト・コミュニズム」というものがあった。この両者は対立しながら共にこの時期の「進歩派」として「現実主義」的な保守派権力と対峙した。

この点、進歩派知識人の代表的論客である丸山眞男氏は「現実」には二つの側面があるという。すなわち、人は「現実」に制約され決定されているという側面と、人は「現実」を選択し決定していくという側面である。

いわゆる「現実主義者」はこの第一の側面だけをみるが、しかし真に「現実」を見る者は現実の第二の側面をも見出すのだと丸山氏は言う。つまり、一見「現実」から遊離した「理想」を希求する「理想主義者」こそが真の「現実」を希求する者であるという事である。

しかし一方で「現実主義者」にしてみても「今日よりも明日は、明日よりあさっては、きっともっと豊かになる」という「理想」を追っていたと言える。

「理想の職業」 「理想の結婚」「理想の住まい」「理想の暮らし」「理想の人生」・・・こういった色とりどりの「理想」が戦後日本の、しばし奇跡とも称される経済復興の駆動力となったことは疑いないであろう。

つまり「理想主義」とは実の所は現実主義であり「現実主義」とは実の所は理想主義であるという事になる。けれども、いずれせよそこにあるのは「ここではない、どこか」にあるバラ色の未来を希求する欲望に他ならない。当時、街場の映画館の看板に踊った「総天然色」という文字がこうした欲望を裏側から物語っているのかもしれない。

そして、こうした「理想の時代」は1960年の日米安保条約の改定(継続)に対する闘争で「理想主義者」が「現実主義者」に敗れたことで終焉する事になった。

⑵ 夢の時代(1960年頃〜1970年代前半)

日米安保条約の改定を使命とした岸内閣の後を引き継いだ池田内閣は「所得倍増計画」を掲げ「農業構造改善事業」による農村共同体の解体と「新産業都市建設促進法」による全国土的な産業都市化により産業構造の転換を推進。そこでは高度経済成長に必要な「資本」「労働力」「市場」という三位一体の産業構造の変革が目指された。こうした産業構造改革により、農村共同体における家父長的大家族の解体が進み「拡大家族」から「核家族」へというロールモデルの転換は、家族のあり方や個人の人生に関する様々な領域に変化を及ぼした。

しかし、ともかくも結果としては経済成長は軌道に乗り、60年代前半の世は「昭和元禄」「泰平ムード」に酔いしれる。経済的繁栄は国民生活に物質的幸福を齎した。テレビ、洗濯機、冷蔵庫という「三種の神器」がほぼ普及し、今度はカラーテレビ、クーラー、自動車が「新・三種の神器」として喧伝されだした。

1963年に行われた全国的な社会心理調査の項目に、明治維新以降100年の歴史のそれぞれの時期を色彩で表すとすれば何色がふさわしいかという項目があり、結果、最も多かった回答は明治は紫、対象は黄色、昭和初年は青・緑、戦争中は黒、終戦直後は灰色。これに対し当代は「ピンク」だった。そして同じく1963年に大ヒットしたのが「こんにちは赤ちゃん」という歌謡曲である。ここにはまさしく「ピンク色の夢の時代」の気分が純化した形で表出していたのではないだろうか。

こうして理想の時代における「理想主義者」たちの信じた現実は実現しなかったが「現実主義者」たちの望んだ理想は実現したのであった。

このように1960年代前半が「あたたかい夢の時代」であったのであれば、後半は「熱い夢の時代」と言われている。

当時、アメリカ、フランス、ドイツを中心として発生した大規模な学生反乱は高度経済成長只中の日本にも波及する。この時代のラディカリストな青年にとっては「アメリカン・デモクラシー」も「ソビエト・コミュニズム」も「豊かな暮らし」とやらも、かつての理想たちすべてが抑圧の象徴であり打倒すべき対象でしかなかった。「理想」に叛逆する「熱い夢」が沸騰した時代ということである。

⑶ 虚構の時代(1970年代前半〜1995年頃)

1973年のオイルショックにより長らく続いた高度経済成長は終りを告げた。そしてかの長嶋茂雄が「巨人軍は永久に不滅です」という名句を残して現役引退した1974年、実質経済成長率は戦後初めてマイナス成長を記録。この年の「経済白書」の副題は「経済成長を超えて」。こうして時代はポスト高度成長期へと遷移する。

こうして「理想」も「夢」もない時代が到来した。こうした時代状況において人々は時代の「反現実」を「虚構」に求めだしたのである。

1973年に出版された「ノストラダムスの大予言」を嚆矢としてオカルトブームが起き「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」が起爆剤となりアニメブームを牽引した。 その一方、1983年に開園した東京ディズニーランドは徹底した現実性の排除による自己完結性に基づく虚構の楽園として出現した。また、それまでわい雑な副都心のうちの一つに過ぎなかった渋谷は1970年以降、西武・東急の開発競争による大規模な都市演出を通じて、虚構の時代における「かわいい」「おしゃれ」「キレイ」という「ハイパーリアル」な感性を体現する巨大遊園地へと変貌した。

同時にこの時代においては、森田芳光氏が「家族ゲーム」という映画で誇張気味に描くように、家族という基礎的な共同体が演技として「わざわざするもの」である虚構として感覚されるようになった。地方自治体が「1日15分は親子の対話を」などという呼びかけを始めたのもこの時代であった。

こうしてみると「理想→夢→虚構」という順で「反現実の反現実的度」は高まっていると言える。

理想の時代とはリアリティの時代であった。理想に向かう欲望とは、理想を現実化するという現実に向かう欲望である。けれども虚構に生きる欲望はもはやリアリティを愛さない。まさに「リアリティなんかないのがリアリティ」という時代が幕を開けたと言える。


2 特異点としての1995年

そして戦後50年目にあたる1995年は、戦後日本社会が一つの曲がり角を迎えた年であったといえる。阪神大震災が起きたこの年は、一方で平成不況の長期化により社会的自己実現への信頼低下が顕著となり、他方で地下鉄サリン事件が象徴する若年世代のアイデンティティ不安の問題が前景化した年でもあった。こうして高度成長期以後、かろうじて日本社会を支えていた「理想」や「夢」の残骸としての「虚構」も、それはまさに文字通りの「虚構」でしかないことが明らかになった。

そして現代思想史においてこの1995年とは、日本社会においてポストモダン状況がより加速した年として位置付けられている。「ポストモダンの条件(1979)」を著したフランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールは「ポストモダンとは大きな物語の失墜である」と規定した。ここでいう「大きな物語」とは宗教やイデオロギーなど社会を規定する価値体系の事である。消費化/情報化の進展する現代社会においては、こうした「大きな物語」が機能しなくなり、何が正しい価値なのかわからない時代が幕を開ける。これがポストモダンと呼ばれる時代である。こうして「ポスト・虚構の時代」というべき1995年以降の「反現実」が検討されることになった。


3 不可能性の時代

この点、見田社会学を継承した大澤真幸氏は見田氏の三区分を1970年を境として「理想の時代」と「虚構の時代」の二区分へ整理し直した上で、1995年以降を「不可能性の時代」として規定する。ここでいう「不可能性」とは何か。

⑴  現実への回帰と極端な虚構化

まず、大澤氏は虚構の時代は全く相反する次の二つの傾向の間で分裂し解消されているという。

①一方、これまでの「虚構」に反するかのような「現実への回帰」という傾向。例えば若年層の自傷行為や原理主義者の自爆テロリズムのように、「反現実」の機能を「現実中の現実」そのもので代替してしまう傾向である。

②他方、これまでの「虚構」をさらに強化するかのような「極端な虚構化」という傾向。例えばフィルタリング規制やゾーニング規制のように、現実から暴力性や危険性を捨象し、相対的な虚構化を推し進める傾向である。

大澤氏によればこれらの相互に矛盾するかのごとき二つの傾向は同一の自体の表裏であるという。つまり「現実中の現実」こそが「最大の虚構」であり、そうした「現実中の現実という究極の虚構」がどこかにあると想定することで「何か」の隠蔽を試みているという。

そしてその隠蔽された「何か」とは他者との直接の関係性、つまり「他者性なき他者」を求める「不可能性」であるという。すなわち現代はこの「認識や実践に対して立ち現れることのない不可能性」が反現実として機能する時代であるというわけである。

⑵  第三者の審級の撤退

この点、大澤氏はこの「不可能性」を規定するメカニズムを「第三者の審級の撤退」という概念で説明する。

ここで「第三者の審級」とはある社会における「規範の制定者」として機能する超越論的な他者の場をいう。そしてこの「第三者の審級」が撤退した時、我々の社会は「リスク社会」となる。リスク社会とは人が「真の意味で」自己選択と自己責任を強制される社会である。「真の意味で」というのはその選択の責任を「神の名」や「父の名」といった「第三者の審級」に帰することができないという意味である。

もはや社会共通の規範がない以上、必然的に個人の行為は己の享楽の最大化へ向かうことになる。すなわち。ここでは「規制の規範者」から撤退したはずの「第三者の審級」が今度は「享楽の強制者」としていわば裏口から回帰するのである。

こうして回帰してくる「第三者の審級」が隠蔽する事実こそが、まさに「現実中の現実という究極の虚構」としての「他者性なき他者=完全な享楽」というあり得ない境域、すなわち「不可能性」なのである。こうして我々は日々その「不可能性」を目指す徒労を強いられて生きていくことになる。


4 拡張現実の時代

大澤氏の「不可能性」とはいわば「ここではない、どこか」を徹底的に純化した反現実といえる。これに対して「いま、ここ」に賭金を置く反現実を提出したのが宇野常寛氏である。

この点、氏はそのデビュー作「ゼロ年代の想像力(2008)」において「新世紀エヴァンゲリオン」に代表される「1995年の記憶」を引きずる引きこもり/心理主義的な想像力を「古い想像力」と呼び、これに対して、2001年前後から台頭し始めた開きなおり/決断主義的な想像力を「新しい想像力(=ゼロ年代の想像力)」と呼んで整理する。

そして宇野氏は「新しい想像力(=ゼロ年代の想像力)」が台頭した背景には、米同時多発テロや構造改革路線による格差拡大といったゼロ年代の社会情勢のもとで広く共有されつつあった「引きこもっていたら殺される」というある種の「サヴァイヴ感」があるという。

すなわち、氏のいう「新しい想像力(=ゼロ年代の想像力)」とは、こうしたゼロ年代的な「サヴァイヴ感」を所与の前提として引き受けて、その上で何が正しい価値(物語/正義)なのかが宙吊りにされた状況で特定の価値を(それが究極的には無根拠であることを承知で)あえて選択するという想像力を指していた。

そして、こうした「ゼロ想」で提示された想像力のパラダイム転換は次著「リトル・ピープルの時代(2011)」では戦後日本社会というより広いパースペクティヴの中に位置づけられることになる。

⑴ ビッグ・ブラザーとリトル・ピープル

同書において氏は「ビッグ・ブラザー」と「リトル・ピープル」という独自の概念を使って議論を整理する。ここでいう「ビッグ・ブラザー」とは「国民国家イデオロギー」のメタファーであり、ジョージ・オールウェルの小説「1984」に登場する国民統合の象徴としての疑似人格体に由来する概念である。かたや「リトル・ピープル」とは「グローバル資本主義」のメタファーであり、村上春樹氏の小説「1Q84」に登場する超自然的幽体に由来する概念である。この対概念は、大澤氏のいう「第三者の審級」が持つ二面性(社会規範の制定者/享楽の強制者)をより際立たせたものとも言える。

こうした観点から氏は戦後社会は「ビッグ・ブラザーの時代」「ビッグ・ブラザーの解体期」「リトル・ピープルの時代」に区切っていく。これはそれぞれ大澤氏のいう「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」に概ね対応する。そしてこの時代区分を前提に、氏はサブカルチャーの評論家らしい手つきで、村上春樹作品と現代サブカルチャーの比較考察を通じて現代(=リトル・ピープルの時代)における反現実を取り出してくるのである。その議論の概略は以下のようなものである。

⑴ デタッチメント--政治と文学の切断

1970年代末、村上氏のデビュー作「風の歌を聴け(1979)」から始まるいわゆる「鼠三部作」と呼ばれる初期作品において鮮明に打ち出されたのが、例の「やれやれ」という台詞に象徴される「デタッチメント」という倫理であった。 ここでいう「デタッチメント」というのは、近代文学を規定してきたいわゆる「政治と文学」の問いから「政治=正義と悪の記述法」を一旦切り離し「文学=ナルシシズムの記述法」に特化する態度である。こうしたデタッチメントの美学は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985)」においていよいよ完成を見て、1000万部のベストセラー「ノルウェイの森(1987)」ではさらなる深化を遂げる。こうして国民的作家、村上春樹は誕生した。

⑵ デタッチメントからコミットメントへ--政治と文学の再統合

このように村上氏は「政治=正義と悪の記述法」から「文学=ナルシシズムの記述法」を切り離すことでビッグ・ブラザーの解体期における暫定解を提示した。ところが新たに迎えたリトル・ピープルの時代は村上氏に再び両者の再統合を要求した。こうしてあの1995年前後において氏は「デタッチメントからコミットメントへ」というよく知られた転回を果たすことになる。 当時執筆された大作「ねじまき鳥クロニクル(1994〜1995)」にはこうした氏の問題意識が強く打ち出されている。もっともこの時点ではまだリトル・ピープルの産み出す新しい「悪」の形は朧げにしか捉えられていなかった。けれど同作の刊行中、あの地下鉄サリン事件が発生し、新しい「悪」の形は現実世界の方から氏の予想を超える形で出現する。その後、氏は事件関係者への綿密な取材を経て、改めてリトル・ピープルの生み出す「悪」に対峙したのが超大作「1Q84(2009〜2010)」である。

⑶ コミットメント=「父」になるということ?

では、そこで提示される「コミットメント」とはいかなるものなのか。両作に共通する構造は、端的に言えば「戦闘美少女方式」である。これは主人公の代わりに「他者性なき他者」を体現するヒロインが現実的なコミットメント(作中で「悪」を体現する人物の誅殺)を遂行することで、主人公の「政治=正義と悪の記述法」と「文学=ナルシシズムの記述法」が同時に遂行されるという構造をとる。

ところが、宇野氏に言わせれば、氏の提示した「コミットメント」はリトル・ピープルの本質を的確に捉え切れていないことになる。すなわち、村上作品におけるコミットメントとは、ヒロインへそのコストを転嫁することで主人公を「父」にさせる想像力に他ならない。ところがビッグ・ブラザーという偉大な父が死に絶えて、リトル・ピープルなる非人格的システムが支配するこの世界においては、我々個人はすべからく自動的に「父」として機能させられている(すべて自己責任のリスク社会!)。

ゆえにいま問われているのは、もはや「父」になるとかならないとかではなく、自動的に機能してしまう「複数の父達」の衝突を調整する想像力に他ならない。こうして宇野氏は、村上氏はビッグ・ブラザーの衰退については誰よりも敏感であったけれども、このリトル・ピープルに対応する想像力はいまだに提出できてないと結論する。

⑷ ウルトラマンと仮面ライダー

では、現代サブカルチャーの想像力はどうなのか?ここで氏がビッグ・ブラザー的想像力とリトル・ピープル的想像力を体現した典型的ヒーロー像として取り上げるのがウルトラマンと仮面ライダーである。

この点、ウルトラマンは宇宙の彼方の光の国から来訪し、次々と攻めてくる怪獣から日本社会を守ってくれるヒーローである。これに対して、仮面ライダーは悪の秘密結社ショッカーの改造人間でありながらも、人間の自由のためショッカーに反旗を翻したヒーローである。

すなわち、ウルトラマンとは秩序の外部から文字通りの超越者として介入するビッグ・ブラザーであり、仮面ライダーとはシステムの内部から生成されたリトル・ピープルという位置付けになる。

1960年代(=ビッグ・ブラザーの時代)に登場したウルトラマンは日米安保の寓話として機能し「怪獣ブーム」を牽引した。けれども1970年代(=ビッグ・ブラザーの解体期)になると、ウルトラマンはかつての超越者の地位から引き摺り下され後続シリーズは様々な試行錯誤を余儀なくされた。その一方で、この時期に登場した仮面ライダーは脱物語化した勧善懲悪の娯楽劇(=デタッチメント)に徹する事で、当時の児童文化を席巻する「変身ブーム」を巻き起こしたのであった。

⑸〈変身〉の再定義と仮面ライダーの複数化

このように仮面ライダーが当初から持っていたリトル・ピープル的ヒーロー像は、まさに現代(=リトル・ピープルの時代)においてその真価を発揮する事になる。こうして「仮面ライダークウガ(2000〜2001)」から始まる「平成仮面ライダーシリーズ」は、ヒーロー番組に対する商業的要請に対応する中で劇的な進化を遂げていく。

まず「仮面ライダーアギト(2001〜2002)」「仮面ライダー龍騎(2002〜2003)」「仮面ライダー555(2003〜2004)」の三部作においては、村上作品で言うところの「世界の終わり(ナルシシズムの記述法)」と「ハードボイルド・ワンダーランド(正義と悪の記述法)」の問題系を「〈変身〉の再定義」と「仮面ライダーの複数化」へとそれぞれ位置付け直すことで、両者を接続させたままでリトル・ピープルの世界観を記述することに成功する。

その後「〈変身〉の再定義(ナルシシズムの記述法)」と「仮面ライダーの複数化(正義と悪の記述法)」の問題系は分裂し「仮面ライダー電王(2007〜2008)」では前者が洗練され「仮面ライダーキバ(2008〜2009)」では後者が肥大化した。

そして、両者はシリーズ第10作目の集大成的作品である「仮面ライダーディケイド(2009)」において「ディケイド=過去の仮面ライダーシリーズというデータベース」というメタフィクショナルな形で再統合される。

ディケイドが提示したのは、いわば「変身」という名のシステムの更新/ハッキング(=コミットメント)であった。ここに氏は「外部=ここではない、どこか」を失った世界で「内部=いま、ここ」を多重化していくリトル・ピープルの時代における反現実を発見する。このような反現実を氏は「拡張現実」と名付けるのである。

⑹ 仮想現実から拡張現実へ

拡張現実。その起源には「カルフォニアン・イデオロギー」という思想がある。70年代以降、アメリカ西海岸において、ヒッピーやドラッグなどのカウンターカルチャーが流行し、その中のいちジャンルとしてコンピューターカルチャーが注目されだした。その結果、アメリカ大陸の西の果てで、新たなフロンティアともいえるサイバースペースが発見され、人は再び世界そのものを変える可能性を手にすることになった。

ここから素晴らしいサービスを投入すれば世界は自動的に変わっていくという一種のユートピア思想が生まれる。これが「カルフォルニアン・イデオロギー」である。GoogleやAppleといったグローバル情報産業はまさに「カルフォルニアン・イデオロギー」の体現者に他ならない。

情報テクノロジーの力は人の認識力を拡大させ「いま、ここ」を多重化させていく「拡張現実」の回路として作用する。こうして1995年以降、インターネットの普及とともに「拡張現実」は日本社会に「反現実」として胚胎し、その流れはゼロ年代後半においてスマートフォンとソーシャルメディアの登場により一層、加速しはじめて、あの2011年の東日本大震災で顕在化したといえる。

ここで起きるのは「虚構」と「現実」の関係性の変容である。かつての「虚構」はもっぱら現実からの逃走先である「仮想現実」へと位置付けられていたが、今日の情報テクノロジーの進展によって「虚構」は現実に介入するための「拡張現実」へと位置付け直されるのである。すなわち、ここで「虚構と現実」は従来のように対立関係ではなく統合関係として捉えられるのである。

⑺「いま、ここ」の多重化

宇野氏の議論は一見、アクロバティックにみえるが、本質的には極めてまっとうな事を述べているように思う。そもそも人は世界に棲まう上で内的幻想としての「物語」を必要とする。もともと人は「物語=虚構」によって現実を多重化させてきた存在なのである。そして、このような人が世界に棲まうための回路が、現代における「大きな物語」の失墜と情報テクノロジーの進展により、時代の反現実そのものになったという言い方もできるであろう。

いまや我々はかつてのような意味での「理想」も「夢」も追うことができず、さりとて「虚構」に引きこもるだけの余裕もない時代を生きている。けれどもしかしその一方で、我々は「虚構」の力で「現実」に介入するための強力な情報環境がこの手のひらの中にある。そして、そこにはかつてとは違った形での「理想」や「夢」を見出すことができるのである。

もちろん、これはあくまでも一つの前提条件に過ぎない。確かに我々は「いま、ここ」を多重化させるための情報環境を手に入れた。けれども、そこで「いま、ここ」を灰色のディストピアに多重化してしまうのか、あるいは色鮮やかな日常へと多重化していくのかはまったく別の問題なのである。すなわち、いま問われるべきなのは、こうした情報環境を積極的に活かし切るための瑞やかな想像力なのである。


5 政治と文学の再設定

そして、この「拡張現実の時代」において「政治」と「文学」はいかなる形で再設定されるのかという問題を、氏が戦後アニメーションと戦後日本思想との連関の中で論じた大著が「母性のディストピア(2017)」である。

⑴ 戦後日本社会における「成熟」と「母性のディストピア」

戦後日本社会における成熟の条件を見事に言語化した「成熟と喪失」で知られる江藤淳氏は戦後日本における成熟とは〈喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」を引き受けること〉である定義した。ここでいう「悪」とは「あえて」という態度である。

江藤氏は「成熟と喪失」において安岡章太郎氏や小島信夫氏など「第三の新人」と呼ばれる戦後文学を論じる中で、前近代を「母(運命論)」のゆりかごに包まれたユートピアとして、そして近代を誰もが「父(自己決定論)」になるという呪縛に囚われたディストピアとして捉え、近代的自由を手にしたことで「母」は「圧しつけがましさ」を持つようになるという。

ここでいう「圧しつけがましさ」とは江藤氏によれば「流動性のある社会、あるいは誰でもが「騎兵」になる可能性をあたえられている社会に生きる母の心に生じる動揺の表現」であり、その結果、母は運命論に支配された前近代へ回帰しようとするか、あるいは過剰に適応すべく過度に夫を恥じるようになった。前者が「海辺の光景(安岡章太郎)」の主人公の母(チカ)であり、後者が「抱擁家族(小島信夫)」の主人公の妻(時子)である。そして最終的に彼女たちはこの動揺に耐えきれず崩壊していった。

そして、江藤氏はこのような「母」を崩壊させる欺瞞、すなわち〈喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」を引き受けること〉という態度こそが成熟の条件であるという。そして、このような戦後日本(「母」が崩壊した社会)における「悪」を「あえて」引き受ける存在を氏は「治者」と呼んだ。しかしそれは裏返せば同時に江藤氏の考える「成熟=治者」には崩壊すべき「母」が必要とされることを意味していた。

これは江藤氏固有の問題ではない。戦後日本社会における「成熟」とは何かしらの母性的承認を必要をしていたのであった。このような「矮小な父性」と「肥大化した母性」の結託構造を宇野氏は「母性のディストピア」と名付けている。

⑵ 戦後日本におけるアイロニカルな成熟像

「近代社会」とはいわば個人に「父(=近代的市民)」という役割を演じることを要求する虚構の舞台装置である。しかし「虚構」と「現実」の皮膜の融解した日本の文化空間においては「近代社会」という舞台装置(=虚構)がそもそも成立しなかった。つまり、ここでは「世界と個人」「公と私」「政治と文学」が切断されていない。それゆえに両者を接続する「父(=近代的市民)」という演技もまた成立しない。それゆえに近代日本における成熟像とは、この国において「近代社会」という舞台装置(=虚構)が成立しないことに自覚的でありながらも、それでもなお「近代社会」という舞台装置(=虚構)の切断への意思を表明することであった。

ところが先の「1945年の敗戦」はさらにそこにもう一つの歪みを加えた。かつて日本を占領したGHQの司令官、ダグラス・マッカーサーは当時、日本社会の精神性を「12歳の少年」と呼び、そして、その後「アメリカの影(サンフランシスコ体制と日米安保)」の下で「12歳の少年」に留め置かれた戦後日本はその経済的身体だけをぶくぶくと肥大化させた。こうした状況を氏は「幼形成熟(ネオテニー)」と呼ぶ。

こうして戦後日本においては、従来の成熟像(虚構の切断の意思表明)による「政治と文学」の(擬似的な)切断と再接続の可能性自体が失われた。その代わりにこの戦後日本が見出した成熟像とは「12歳の少年」による成熟の仮構であった。それは「アメリカの影」による実質的な「政治」の消去を「文学」内部での自己完結的な「政治ごっこ」運動で代替し、あたかも表面的には政治と文学が接続されているように見せるという極めてアイロニカルな成熟像である。そこでは見田氏のいうところの「現実」を規定する「反現実」は徹底的に「現実」と分裂し、現実にはありえないことだけが真正な「理想」や「夢」あるいは「虚構」の条件となった。

ここでは徹底的に私的なことだけが公的であり、現実的には無価値なものこそが反現実的な価値を生むという逆説が機能する。戦後日本を長らく規定した左右のイデオロギーにおいて、こうした偽物こそが本物であるというような逆説は(現実的にはそれが不可能と知りながら)あえて、その「偽悪(例えば憲法9条改正/再軍備)」ないし「偽善(例えば憲法9条護持/武力放棄)」を引き受けるという「あえて」の論理として現れた。

このような、いわば空位の玉座を守るが如き「矮小な父性」による自己完結運動は、その不毛な演技を無条件に承認する「肥大化した母性」が必要とした。このように戦後日本社会の成熟像は左右のイデオロギーを問わず「矮小な父性」と「肥大化した母性」の結託構造としての「母性のディストピア」に規定されていた。すなわち「治者」となるために「母」を必要とする先の江藤氏の論理はまさにこの「母性のディストピア」における自己完結運動の一類型ということになる。

⑶ 戦後アニメーションの描き出した「母性のディストピア」

この点、戦後日本において奇形的な発展を遂げた「アニメーション」という表象文化は「アメリカの影」を抱え込みながらも戦後日本的「成熟」の形式を追求する表現ジャンルでもあった。

19世紀が「文学の世紀」であるならば、20世紀とは「映像の世紀」と呼べる。19世紀末に発明された「映像」という新たな技術は、20世紀という時代を映し出し、劇映画は世界と個人をつなぐ物語的な回路としての役割を担った。そしてあらゆる事物と事象が作家の意図なしには存在できないアニメーションとは、いわば究極の劇映画であり「映像の世紀」の臨界点に位置しているのである。

そして手塚治虫氏により確立されて以降、我が国の戦後アニメーションを無意識のレベルで支配する「記号によって成長や死をいかに描くか」という「アトムの命題」とは「12歳の少年」のまま成熟を仮構せざるを得なかった戦後日本のネオテニーの変奏でもある。

すなわち、戦後アニメーションの中には戦後日本を規定してた「母性のディストピア」が強く表現されているといえる。こうした視点から氏は宮崎駿、富野由悠季、押井守といった戦後アニメーションを代表する作家の軌跡を検証する。そして、その評価は概ね以下のようなものである。

宮崎駿氏は自らを「飛べない豚」と位置付け、母の胎内でしか飛ぶことのできない少年たちの物語(カリオストロの城/天空の城ラピュタ/紅の豚)を反復する一方で、少女たちに「飛ぶこと」の希望を託していた(風の谷のナウシカ/魔女の宅急便)。それは戦後日本の根底に存在したアイロニカルな成熟像そのものでもあった。いわば宮崎氏は「母性のディストピア」を「母性のユートピア」として読み替えた作家であった。

富野由悠季氏は「母性のディストピア」を「モビルスーツ(偽の身体)」と「宇宙世紀(偽の歴史)」による成熟の仮構装置として描き出し、その巨大なシステムを内破する希望を「ニュータイプ」に見出してた(機動戦士ガンダム)。しかし富野氏はこの「ニュータイプ」たちの生を「呪われたもの」として描き続け、ニュータイプが持つ可能性を自ら放棄してしまう(機動戦士Zガンダム/機動戦士Vガンダム)。

押井守氏は「母性のディストピア」の呪縛(うる星やつら)を情報論的アプローチに変換して突破しようとした(機動警察パトレイバー)。しかしいまや時代は「映像の世紀」から「ネットワークの世紀」へと変遷する(攻殻機動隊)。こうした情報環境の変化の中で氏は「ネットワークの世紀」に対しては消極的なモラルの提示にいまだとどまっている(イノセンス/スカイ・クロラ)。

そしていまや「ネットワークの世紀」においては、もやは戦後的アイロニズムによる成熟の仮構という方法論すら成立していないと同書は述べます。情報技術という新しい「母」の膝元で、人々は信じたい物語(というよりも情報)だけを享受してネットワークの海から承認を調達することができる。すなわち現代において「母性のディストピア」はますます肥大化しているのである。

⑷ アトムの命題とゴジラの命題

氏によれば、いまや戦後アニメーションの批判力は失われつつあるという。それはグローバルなレベルでは「映像の世紀」から「ネットワークの世紀」へという情報環境の変容による劇映画そのもの批判力の低下による。そしてローカルなレベルでは今や経済大国=ネオテニーですらなく、単なる成熟=近代化に失敗しただけの「12歳の少年」でしかない日本における「アトムの命題」の機能停止による。その結果、現代のアニメーションは「震災」の記憶を忘却すること(君の名は。)や、喪われた「終わりなき日常」のノスタルジーへ逃避すること(聲の形)や、あるいは「母性のディストピア」のルーツを追認することしかできなくなっているとされる(この世界の片隅に)。

しかし一方で、戦後アニメーションには怪獣映画から継承したもう一つの命題を内在させている。かつて怪獣映画とは常に戦後社会そのものを潜在的に問い直す装置でもあった。ここには戦後という偽り(偽善/偽悪)の時間の中で結果的に生まれたもう一つの命題がある。虚構を経由することでしか捉えられない現実を描くということ。この逆説を同書は「ゴジラの命題」と呼ぶ。

そしてこの「ゴジラの命題」を現代において再生したのは他ならないゴジラ自身であった。かつての怪獣映画が「核兵器」や「サンフランシスコ体制」という「現実」を描き出したように、庵野秀明氏が手掛けた「シン・ゴジラ(2016)」においては「原発」という「現実」が極めてアクロバティックなポリティカル・フィクションとして、すなわち「あり得たかもしれない3.11」として描き出された。

一方「映像の世紀」から「ネットワーク世紀」へという情報環境の変化は、虚構が現実の一部に回収された新たな虚構観を生み出した。すなわち現代における反現実としての「拡張現実」である。その申し子と言えるのがカルフォルニアン・イデオロギーを体現する「Google /ジョン・ハンケ的なもの=ポケモンGO的なもの」だと氏は位置付ける。

「拡張現実の時代」においては人は「自分を変える」のみならず「世界を変える」可能性を再び手にしました。ここでかつて失われた「政治と文学」の接続可能性は別の仕方で開かれる。

この点「シン・ゴジラ」とは「拡張現実の時代」における虚構=劇映画からの優れた回答であったが、その一方で同作には徹底して「政治」しかなく「文学=人間ドラマ」が消去されており、いわば「世界と個人」「公と私」「政治と文学」の関係を描くという点では難点を抱えていた。では「拡張現実の時代」においては「政治と文学」はいかなる形で再設定されるべきなのか。

⑸「共同幻想論」から考える

戦後最大の思想家とも呼ばれる吉本隆明氏はその主著「共同幻想論」において国家を一つの幻想として捉えている。すなわち、人間の社会像は自己幻想(個人)、対幻想(家族的な関係性)、そして共同幻想(国家的な共同体)から形成され、これらの幻想が接続されることで、社会の規模は個人から家族へ、家族から国家へと拡大していくことになる。

この点、家族を成立させている「対幻想」は「夫婦/親子的対幻想」と「兄弟/姉妹的対幻想」のに種類がある。子を再生産する前者は時間的永続性を司り、子を再生産しない後者は空間的永続性を司る。そしてこの二種類の対幻想を「宗教」とか「イデオロギー」などと呼ばれる操作で組み合わせる事で、対幻想は共同幻想に拡大されていく。すなわち、人は疑似人格としての国家との間に国民として「夫婦/親子関係」を結び、そして国民相互は同じ親(国家)を持つ「兄弟/姉妹関係」となる。

この点、吉本氏は「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」の各幻想は原理的には「逆立」するものと考えた。「逆立」とは各幻想が反発しつつも独立している状態の事である。そして、ここで氏は「自己幻想」が「共同幻想」に「逆立」する為の起点として、それ自体で二者間の閉じた世界の中に完結する「夫婦/親子的対幻想」に着目した。

その後、消費情報社会の進展により「国家」という共同幻想が零落し、その一方で「市場」という非幻想の存在感が増していった。吉本氏はこうした消費情報社会の到来を予見しており、なおかつ、こうした社会を「夫婦/親子的対幻想」の拡大として肯定的に捉えていたが、その評価は今日からみると決定的に誤ってもいた。吉本氏は今日の情報社会が陥った下からの全体主義に接近していくことを、すなわち情報技術により肥大化した「母性のディストピア」が出現することを予見できていなかったからだ。

⑹「政治と文学」から「市場とゲーム」へ

この点、宇野氏はこうした「母性のディストピア」を解除する鍵を「もう一つの対幻想」に、すなわち「兄弟/姉妹的対幻想」に見出している。

かつての「国家という共同幻想」が書き手と読み手が固定化された一方通行的な「物語的存在」であったとすれば「市場という非幻想」とはプレイヤーとデザイナーが常に流動的に入れ替わる双方向的な「ゲーム的存在」である。つまり「国家」という共同幻想が零落し「市場」という非幻想(非物語的なデータベース)が浮上する現代においては「政治と文学」は「市場とゲーム」として再設定されることになる。

そして、こうした「市場とゲーム」において、もし我々が他のプレイヤーに「夫婦/親子的対幻想」を見出すのであれば、それは「家族」「国家」といった相対的に零落した共同幻想へと回収される事になる。しかし一方、我々が他のプレイヤーに「兄弟/姉妹的対幻想」を見出すのであれば、それは共同幻想に回収される事なく、対幻想のままに対象を拡大させる事が可能となる。ここで個人と個人は共同幻想を媒介とすることなく、お互いが「相補性の片割れたちによる、寄り添いのアイデンティティ・ゲーム」によって繋がりをもっていく。

この点「シン・ゴジラ」においてはこの「兄弟/姉妹的対幻想」の拡大を見出すことができる。そして「アトムの命題」が機能停止した現代において台頭する想像力の中にも様々な形で「兄弟/姉妹的対幻想」の拡大を確認できるのである。

このような「兄弟/姉妹的対幻想」を用いる想像力は今ところ「父」になるの「でない」という記述法にとどまっているが、これが「である」という形で記述できた時「アトムの命題」は決定的に更新されると氏は述べる。すなわち、そこで我々は「政治と文学」ならぬ「市場とゲーム」の関係性を記述しうる物語を手にする事ができるのである。

そしてそれは、世界を非物語的な情報の束として捉えるオタク的感性と、その成熟としての左右のイデオロギーに回収されないリアル・ポリティックス的な「(父を演じるでもなく母の膝下に甘えるのでもない)第三の道」を体現する存在として構想される。そしてこのような成熟像に氏は「ニュータイプ」という名を与えている。それはかつて富野氏が見出した理想の再定義であると同時に、カリフォルニアン・イデオロギーの東洋的な形での批判的継承ともなる。そしてこうした想像力の提示こそが、今日における(Google /ジョン・ハンケ的なものとは別の形での)虚構に宿る可能性であり、それはすなわち、現代アニメーションが開く新たな想像力の境域なのである。


6 社会学的批評

こうしてみると、宇野氏が「ゼロ想」において論じた決断主義的構図の解除条件を「父」という観点から論じたのが「リトルピープルの時代」であれば、同様の問題を「母」という観点から論じたのが「母性のディストピア」ともいえる。

そして「母性のディストピア」と「ニュータイプ」という対置は様々な議論の文脈の中に差し出す事が可能であるように思われる。

それは例えば哲学・現代思想的文脈では東浩紀氏のいう「形而上学システム/否定神学システム」と「郵便=誤配システム」の対置として捉えられ、精神分析的文脈ではラカン派のいう「神経症」と「ポスト・神経症」の対置として捉えられ、臨床心理学的文脈では河合隼雄氏のいう「グレート・マザーの病理」と「自己実現の過程」の対置として捉えられ、社会学的文脈では見田宗介氏のいう「インストゥルメンタル」と「コンサマトリー」の対置として捉えられるのではないか。

こうしたパースペクティブの拡大によって現代社会を呪縛する「母性のディストピア」の解除条件をさらに厳密に確定する事も可能だろう。そして、こうした議論の深化は戦後日本社会のあり方を問い直す営みであると同時に、まさしく我々がこの日常でしばし直面する「生きづらさ」や「居場所のなさ」とよばれる現実的な困難に何かしらの光明をもたらすようにも思えるのである。