セカイと日常⑴ 総説


1 エヴァンゲリオンからセカイ系へ

阪神大震災と地下鉄サリン事件に象徴される1995年は奇しくも戦後50年を迎えた日本社会においてポストモダン状況がより一層加速した年としても位置付けられている。「ポストモダンの条件(1979)」を著したフランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールは「ポストモダンとは大きな物語の失墜である」と規定した。ここでいう「大きな物語」とは社会全体を規定する宗教やイデオロギーといった共通の価値体系の事である。すなわち、消費化/情報化がとどまることなく加速する現代という時代は、こうした「大きな物語」が機能しなくなり、何が正しい価値なのかわからない時代であるということである。

そして、こうした時代の転換点を見事に体現した作品が同年に放映された「新世紀エヴァンゲリオン(1995)」である。TV放映開始当初のエヴァは「究極のオタクアニメ」としてスタートした。細かいカット割りや晦渋な言い回しの台詞の随所に垣間見える、宗教、神話、映画、SF小説からの膨大な引用。このようなカルト的世界観はいわゆる「オタク」と呼ばれる人々の知的欲求ないし快楽原則を最大限に刺激するものであった。ところが後半、エヴァの物語は破綻をきたしていく。映像の質は回を追うごとに落ちて行き、それまでに撒き散らされた「アダム」「リリス」「人類補完計画」といった謎への回答は完全に放棄され、物語の視点は登場人物の内面に移っていった。

エヴァ終盤で描かれたのは同作の監督を務めた庵野秀明自身の「自意識の問い」そのものであったと言われている。すなわち、エヴァは終盤で、唐突に「究極のオタクアニメ」から「オタクの文学」に転向したわけである。このような転向は当然オタク層から激しい論難を浴びせられる事になった。けれども皮肉にも「オタクの文学」としてのエヴァの内省性は一般層への幅広い共感を呼び、エヴァは社会現象となったのである。そして、こうした「オタクの文学」としてのエヴァを引き継いだ想像力が、ゼロ年代初頭において一世を風靡した「セカイ系」と呼ばれる一連の作品群である。


2 セカイ系という言葉の起源

「セカイ系」という言葉が初めて公に用いられたのは2002年10月31日、ウェブサイト「ぷるにえブックマーク」の掲示板に投稿された「セカイ系って結局なんなのよ」というタイトルのスレッドだとされている。

そこで管理人のぷるにえ氏は「セカイ系」とは「エヴァっぽい作品」に、わずかな揶揄を込めつつ用いる言葉であるとし、これらの作品の特徴として「たかだが語り手自身の了見を「世界」などという誇大な言葉で表現したがる傾向」があると述べている。

端的に言えば「セカイ系」とは、エヴァ後半で前景化した「自意識の問い」への返歌であるということになる。つまり、巨大ロボット、戦闘美少女、ミステリーといったオタク系文化におけるジャンルコードの中で「〈私〉とは何か」「〈世界〉とは何か」という「自意識の問い」を過剰に語る作品群こそが本来的な「セカイ系」と呼ばれるものということである。


3 セカイ系の再定義

このように「セカイ系」とは、もともとはエヴァ後半で前景化した「自意識の問い」に焦点を当てた一人語りの激しい作品を指していた。ところがゼロ年代中盤以降、文芸批評の分野において注目を集めた「セカイ系」は次のように再定義されることになった。

主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(きみとぼく)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的大問題に直結する作品群



批評家の東浩紀氏らが中心となり発刊された同人誌「美少女ゲームの臨界点(2004)」によるこの有名なセカイ系の定義は、東氏の主唱する「象徴界の失墜」という理論に対応している。すなわち、現代思想に大きな影響を及ぼすフランスの精神分析家、ジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相で捉えていたが、東氏によれば「大きな物語」が失墜したポストモダン状況が加速する現代においては、このラカンにおける「象徴界」の機能が失調しており、あたかも「想像界」と「現実界」が直結したかのような感覚が強くなっているということである。東氏は次のように述べる。

僕たちは象徴界が失墜し、確固たる現実感覚が失われ、ニセモノの満ちたセカイに生きている。その感覚をシステムで表現すればループゲームに、物語で表現すればセカイ系になるわけだ。

(「美少女ゲームとセカイ系の交差点」より)


要するに、ここでセカイ系は「組織」とか「敵」といった「世界観設定(象徴界)」を積極的に排除して「ヒロイン(想像界)」と「世界の果て(現実界)」を直結させる構造として再定義されることになる。そしてこうした構造の下では主人公の実存はヒロインの母権的承認によって担保され、主人公の「自意識の問い」はヒロインを救えない己の無力さへと向けられることになる。こうした意味でセカイ系とは己の無力さをひたすら自己反省し続ける否定神学的な欲望に規定された作品群ともいえる。


4 引きこもり/心理主義としてのセカイ系

ゼロ年代初頭にセカイ系と呼ばれる作品群が一世を風靡した背景には当時の時代状況というものを考えるべきだろう。90年代後半からゼロ年代初頭という時期、就職氷河期は長期化し、戦後日本を曲がりなりにも支えていた終身雇用や年功序列といった昭和的ロールモデルも破綻の兆しを見せ始めていた。こうした時代の転換期の中で当時の少なからぬ若年層は従来のような意味での「父」になれない実存的不安を「母」の承認のもとで埋め合わせようとしていた。こうしたことから「セカイ系」がこうした時代の急性期を乗り切るための処方箋として機能していたともいえる。

しかし、このような「セカイ系」が時代の徒花ともいえる一面があることもまた否めないだろう。この点、宇野常寛氏はそのデビュー作「ゼロ年代の想像力」において、エヴァに代表される90年代後半の想像力を「古い想像力」と呼び、2001年以降はこうした「古い想像力」を乗り越える「新しい想像力=ゼロ年代の想像力」が台頭しているという構図を提示して、ここからゼロ年代初頭に花開いた「セカイ系」とはいわば「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」というべき時代遅れの想像力であると主張した。

同書において宇野氏は我が国におけるポストモダン状況は1970年代以降徐々に段階的に進行しているという立場を取る。氏によれば、いわゆる「政治の季節」が終焉を迎える1968年から1970年代初頭が第一段階、消費社会の爛熟と相対主義が台頭した1980年代が第二段階、冷戦構造と経済成長が終焉した1995年前後が第三段階であり、さらに9.11と小泉政権が誕生してグローバル化の徹底段階に突入した2001年が第四段階ということになる。

まず1980年代は消費社会の爛熟とそれに伴う相対主義が台頭した時代であったが、ここでいう相対主義とは氏によれば、1970年代以前の「(マルクス主義に象徴されるような)大きな物語」の凋落を語ることそれ自体が絶対的な価値を帯びていた「相対主義という名の絶対主義」ということである。

そして、このような(擬似的な)相対主義として表出していたポストモダン観は、当時「構造と力(1983)」で一世を風靡してニューアカデミズムブームを牽引した浅田彰氏の「シラケつつノリ、ノリつつシラケること」という言葉が象徴するように、やや能天気にも思える楽観的な多文化主義として受容された。こうした「大きな物語」を相対化していく態度を「物語批判」と呼ぶ。

この点、ポストモダン状況が進行すると一般的には人々の世界像は「不自由だが暖かい(わかりやすい)社会」から「自由だが冷たい(わかりにくい)社会」に移行することになるが、1980年代当時の日本においてはバブル経済前夜の好景気と米ソ冷戦構造を背景として、そのポストモダン観は「自由」という部分だけが過剰にクローズアップされ「冷たい(わかりにくい)」という部分は後景に退くことになった。

ところが1990年代に入るとバブル経済崩壊と冷戦終結により、いよいよ人々は本来的なポストモダン状況である「自由だが冷たい(わかりにくい)社会」に直面することになる。こうして、これまでのように歴史や社会が「意味」を備給してくれない「大きな物語」なき時代が幕を開けることになった。

こうした「大きな物語」なき時代においては「物語批判」という1980年代的態度は大きく後退し、むしろ世の中は急速なまでの「物語回帰」を志向し始めた。こうした「物語回帰」という時代的傾向は当時のテレビドラマやJ-Popにおいて顕著に見られる「純愛」とか「家族」などといった単純素朴な「小さな物語」を無邪気に称揚する態度からも理解できる。

そしてあの1995年という年を境に、90年代前半に渦巻いていた喪失感はより徹底された絶望感として社会に広く共有されることになった。こうした「大きな物語」が失墜し、何が正しい価値なのかがわからない時代において氏は「〜する/〜した(行為)」という社会的自己実現をアイデンティティに結びつけるのではなく「〜である/〜ではない(設定)」という自己像の承認をアイデンティティとする考え方が支配的となり、問題に対しては「行為によって状況を変える」ことではなく「自分自身を納得させる理由を考える」ことで解決が図られることになると述べる。氏はこのような90年代後半的態度を「引きこもり/心理主義」と呼ぶ。

それゆえに1990年代後半以降においてはエヴァに代表されるような、例えば過去の精神的外傷といった「設定」を根拠とした実存の承認をめぐる想像力が氾濫することになる。すなわち、ここには「あなたは〜という傷を持っているからこそ、美しい」という承認の構造があるのである。


5 95年の思想から開き直り/決断主義へ

こうして醸成された「引きこもり/心理主義」の進行という「95年問題」に対抗するためのいくつかの処方箋を氏は「95年の思想」と呼んだ。

例えば当時、オウム真理教問題と援助交際問題を扱う気鋭の論客として知られていた社会学者宮台氏は「終わりなき日常を生きろ--オウム完全克服マニュアル(1995)」においてオウムの病理とは「終わりなき日常」に耐えかねて「ハルマゲドンという非日常」を現実化しようとした点にあると分析し、この「終わりなき日常」を生きるための処方箋として「まったり革命」と呼ばれるものを唱導した。

ここで宮台氏のいう「まったり革命」とは端的に言えば、何が正しい価値なのかがわからなくなった現代において「生きる意味」とかを性急に求めたりせず、単に「楽しいこと」や「気持ちいいこと」を消費して「終わりなき日常」を「まったり」とやり過ごすことで快適に生きようという発想である。

この「まったり革命」を含む「95年の思想」はいずれも90年代的な「引きこもり/心理主義」によって肯定される自己像を承認するための「小さな物語」という共同性に依存することなく、価値観の宙吊りに耐えながら、あるいは気にせずに生きていくという、いわばある種のニーチェ主義というべき超人的な成熟モデルである。

けれども宇野氏によればここで提示された「95年の思想」はいずれもゼロ年代に向けてさらに先鋭化しつつあった「物語回帰」の潮流の前に夭折することになったいう。もっとも、ここでいう「物語回帰」とは70年代以前の「大きな物語」への回帰ではなく、むしろ逆に究極的には無根拠でごく私的な「小さな物語」へ回帰する態度をいう。そして、こうした「物語回帰」の極めて安易な類型のひとつとして氏は「セカイ系」を位置付けるのである。

その一方で2001年前後から米同時多発テロや小泉政権が主導した新自由主義的構造改革といった時代情勢を背景に「引きこもっていると殺される」という「サヴァイヴ感」が社会的に広く共有されることになり、その結果「たとえ無根拠でもあえて中心的な価値観を選び取る」「信じたいものを信じる」という態度が支配的になった。氏はこのようなゼロ年代的態度を「開き直り/決断主義」と呼ぶ。このような態度を反映した先駆的な想像力として氏は「バトルロワイヤル(1999)」を挙げている。

こうしてゼロ年代においては決断主義的に選択された「小さな物語」同士の動員ゲーム(バトルロワイヤル)の時代が幕を開けることになる。ここでは「引きこもり/心理主義=セカイ系」のような「何もしないという選択」も、この動員ゲームの中では単に一つの決断主義的な選択であると見做されてしまう。すなわち、現代とは誰もが決断主義者として生きていくことを余儀なくされる時代であるといえる。この点、氏はこうしたゼロ年代における決断主義的な想像力を「サヴァイヴ系」と呼び、その範例として「DEATH NOTE(2003)」を位置付けている。


6 決断主義の克服へ向けて

以上のように1995年からの5年間はいわば社会像の変化の受容フェイズであり「旧来の社会像が信じられなくなった」ことを表現する想像力が支配的となった。これに対して、2000年からの5年間はいわば新たな社会像の再構成フェイズであり「政治的(なゲーム)に勝利したものが無根拠なものを暫定的に正当化」することを表現する想像力が支配的となる。これがゼロ年代を覆う決断主義的動員ゲーム(バトルロワイヤル)ともいうべき状況であり、この決定的な状況の克服こそが、現代の課題に他ならない、と氏は述べる。

この点「95年の思想」はある種の物語批判的なアプローチで強い「個」の確立を志向した。けれども我々は結局のところ物語から自由ではあり得ない。たとえ「物語を何も選択しない」という立場をとったとしても、それは結局「『物語を何も選択しない』という物語の選択」でしてしか機能しない。結局のところ、我々は何らかの物語を何らかの形で選択させられてしまうのである。

こうしたことから氏は「95年の思想」において真に問われるべきであったのは「小さな物語」への「自由で慎重なアプローチ」が可能となる、その成立条件であったという。けれども「95年の思想」はいずれも大まかな方向性を指し示す段階にとどまり、氏のいう「自由で慎重なアプローチ」の成立条件の検討は、非常に甘いものになっていた。

すなわち、決断主義の克服に必要なのは「物語」からの自由の模索ではなく、むしろ「物語」から不自由な存在であるというこの現実を受け入れた上で、ここから如何にして決断主義に抗っていくかという模索であるということなのである。


7 郊外化するポストモダン

そして、宇野氏は「95年の思想」が夭折した原因として、これらがいずれもポストモダン状況の持つ両義性を視界に入れていないものであったという。この点、宮台氏は95年以降のリアリティの変容を「現実が軽くなった」と表現しているが、宇野氏によれば、単一の強大なアーキテクチャーの上に無数の多様なコミュニティが乱立するポストモダン状況下においては、現実は単純に「軽く」なったのではなく「より軽くなっていく層(コミュニティ)」と「より重くなっていく層(アーキテクチャー)」へと二極分化しているということになる。

こうしたことから氏は「95年の思想」はもっぱら前者(コミュニティ)への対応に終始するばかりで、後者(アーキテクチャー)への対応という視点がほぼ欠如しているという。そこで氏は決断主義を克服してゼロ年代 における動員ゲーム(バトルロワイヤル)に何らかの批判力を持つものがあるとすれば、それは「95年の思想」が見失っていた「むしろ重くなった現実」を考える事でしかありえないとする。

この点、氏はこのポストモダン状況において「むしろ重くなった現実」を都市論の観点から「郊外化」が決定的に進んだ世界として把握する。ここでいう「郊外化」とは、ポストモダン状況の進行が都市計画として実現されることであり、具体的には地方都市に大型ショッピングセンターやチェーン店が連なり、都市の風景が画一化する現象をいう。

これらの「郊外化」によって、流通の地域格差を是正して人々の消費生活(コミュニティ)を決定的に多様にする一方で、そのハードウェアとなる街の風景(アーキテクチャー)を決定的に画一化することになったと氏は述べる。

そして、この郊外的空間では歴史に裏付けられた共同体や価値観が個人の生きる意味を備給してくれるという近代的モデルは失効する。こうした「郊外化」という文脈からすれば「郊外に生きる僕らには物語がない」という絶望に囚われた態度が「引きこもり/心理主義」であり、その前提を織り込み済みで「郊外に生きる僕らは物語を自分で作るしかない」という諦念に至った態度が「開き直り/決断主義」ということになる。


8 終わりなき日常から終わりある日常へ

これに対して氏は「ポスト決断主義」へ向かうアプローチのひとつとして「郊外化」した世界における「中間共同体」の持つ可能性に注目する。

例えば「池袋ウェストゲートパーク(2000)」や「木更津キャッツアイ(2002)」といった宮藤官九郎作品では「池袋」や「木更津」といった郊外的空間(ポストモダン状況)が、その低い凝集性と高い流動性により個と個と連帯としての「つながり」が自己目的化したコミュニティが成立する場として再起的に選択されることになった。

この点、氏はこのような郊外的空間(ポストモダン状況)だからこそ成立しうる人々が自由に選び取る「中間共同体」における「つながり」の記憶が、例えそれが歴史から切断されていても、他の何者にも代え難い「物語」として機能することになり、その時「郊外=終わりなき(ゆえに絶望的な日常)日常」は「終わりある(ゆえに可能性に満ちた)日常」へ変貌することになるという。

また「ウォーターボーイズ(2001)」「スウィングガールズ(2004)」といった矢口史靖作品における青春観の特徴は「結果」よりも「過程」が重視されており、その構造が「成功」や「社会的意義」といった「意味」に支えられていないという点にある。すなわち、これらの作品もまた「学園」という名の郊外的空間から産み出される「つながり」の中で「青春」という名の特権的時期における「終わりある(ゆえに可能性に満ちた)日常」の瞬間を鮮烈に描き出した想像力であるといえる。

そして、このような宮藤的郊外観や矢口的青春観をある意味極限まで推し進めた想像力がゼロ年代中盤以降オタク系文化の中で急速に存在感を持ち始めた「日常系」というジャンルといえるだろう。ここで「日常系」と呼ばれる作品群は多くの場合は4コマ漫画形式を取り、そこでは主に10代女子のまったりとした何気ない日常が延々と描かれる。そして作中において男性キャラは前面に出ることはなく、異性愛的な要素は極めて周到に排除されているのもまたその特徴である。

ここで描き出されるのはいわば作品世界の「空気」そのものであることから、このことからしばし「日常系」は「空気系」とも呼ばれたりもする。「日常系」もまたゆるやかな「つながり」を通じて何気ない日常における瑞やかな「いまここ」を再発見していく想像力によって支えられているのである。

こうしたゼロ年代の想像力から、ポストモダン状況における「日常観」のラディカルな転換を観ることができる。いわば宮台氏の「まったり革命」という処方箋は「大きな物語」なき世を無物語的にやり過ごそうという消極的日常観に基づくシナリオである。これに対して、宇野氏がゼロ年代の想像力から取り出した処方箋は画一的な「郊外的空間(アーキテクチャー)」から生成される多様な「つながり(コミュニティ)」の中で何者にも代え難い特異的な「物語」を見出していくという積極的日常観に基づくシナリオといえる。


9「つながり」よりもさらに深いところで手をつなぐということ

こうした「終わりある日常」という日常観を支える「つながり」の思想は間違いなくゼロ年代において模索された成熟の条件の一つの到達点であったといえるだろう。けれども現代の想像力においては当然のことながら、さらに「その先」が問われることになるのである。

この点「つながり」の思想が広く支持を得た背景には言うまでもなくゼロ年代後半におけるソーシャルメディアの台頭がある。当時は多くの人が、ソーシャルメディアのよる新たな「つながり」が切り開く未来の可能性に何かしらの希望を見出していた。

けれども、実際にソーシャルメディアがもたらしたものは見たい現実と信じたい物語だけを囲い込んでしまう情報環境であった。こうした環境下では「つながり」は容易にクラスター化して、その内部には同調圧力が発生し、その外部には排除の原理が作動するのである。

そういった意味で2010年代とはまさに様々な「つながり」たちが世界を友と敵に斬り分けあった「動員と分断」の時代でもあった。要するにこの10年は「つながり」への希望が次第に「つながり過剰」に対する絶望へと変わっていった10年であったともいえる。

こうしたことから、2010年代から今日においては「つながり過剰」の内破を志向する言説が国内批評をリードすることになった。例えば東浩紀氏は「弱いつながり(2014)」において、人生を充実させるには「強い絆」と「弱い絆」の両方を必要とすると述べている。おそらく多くの人はたった一度きりの人生をかけがえのないものとして生きたいと願っている。けれどもその一方で、人は所詮は自身を取り巻く環境に規定された存在でしかない。そして、こうした根源的な矛盾を乗り越える(もしくは乗り越えたふりをする)ための有効な方法はただひとつ、自身の置かれた環境を意図的に変えることにあると氏は述べている。

なぜならば、人は自身の置かれた環境を意図的に変えることで、現在の環境を強化する「強い絆」を相対化させ、そこに新たな可能性を切り開く「弱い絆」を手に入れることができるからです。こうしたことから氏は環境を意図的に変えるための手段としての「観光」を勧める。

こうした東氏の発想の背後には、おそらくゼロ年代的な「つながり」が行き着いた先にある「強い絆=つながり過剰」を相対化させる「弱い絆=つながりの外部」を開くための動線を「観光」に見出していたように思える。

そしてまた、後述するように現代の想像力においても「つながり過剰」の中に回収されることのない「わからなさ」という他者性に光を当てていく優れた「物語」が広く支持を集めているように思える。

「つながり」よりもさらに深いところで他者(性)と手をつなぐということ。こうした、いわばサイダーのように微細に泡立つ無数の「わからなさ」という他者性を引き受けていくような、そんな生き方の中にこそ、おそらくは2020年代における「終わりある(ゆえに可能性に満ちた)日常」を見出すことができるのではないか。





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