欲望と享楽⑴ 総説


1 エディプス・コンプレックスと〈他者〉の欲望

時は20世紀初頭、精神分析の始祖であるジークムント・フロイトは当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中、患者の心的現実を基礎付ける内因的な欲動の存在を想定し、独自の欲動発達論を主張した。すなわち、フロイトによれば、幼児のリビドーは身体の各粘膜部位に性感帯を持つ自体愛的な部分欲動として生後間もなく生じ「口唇期(1歳頃まで)」「肛門期(2~3歳頃)」「男根期(4~5歳頃)」という一定の発達段階プログラムを経由して、やがて「部分対象(身体部位)」から「全体対象(他者)」へ向けられることになる。

この点、男根期に入ると幼児は性の区別に目覚め、異性の親に愛着を持つ一方で、同性の親に対する憎悪を抱くとフロイトは考えた。このような幼児の抱く心的観念の複合体をフロイトはギリシア悲劇に倣い「エディプス・コンプレックス」と命名した。フロイトはこの「エディプス・コンプレックス」の解消のされ方がセクシュアリティの確立や超自我の形成、そして神経症的葛藤の成立における重大な要因となると述べている。

この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランス現代思想史における構造主義の代表的論客として知られる精神分析家ジャック・ラカンである。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にある。ここでは「想像界」を統御するのが「象徴界」であり「象徴界」を駆動するのが「現実界」であるとされている。そして、ラカンは「象徴界」に対する心的機制を基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別した。

この点、ラカンは「精神病(1955~1956)」において、エディプス・コンプレックスとは〈父の名〉という「象徴界の法」を示すシニフィアンの導入であり、この〈父の名〉が欠損していることが精神病の構造的条件であると主張した。ついで、ラカンは「対象関係(1956~1957)」においてファルスという対象の欠如を巡って、人のセクシュアリティがどのように規範化(正常化)されるかを論じ、さらに「無意識の形成物(1957~1958)」においては前駆的な象徴秩序(原-象徴界)がいかにして〈父の名〉によって統御されるかを論じている。

こうして、エディプス・コンプレックスというのは⑴セクシュアリティの規範化と⑵原-象徴界の統御という二つの機能を持っていることが明らかになる。そこで、ラカンは、ソシュールの構造言語学のアルゴリズムを応用し、この二つの機能を一つの論理に圧縮した。これが「父性隠喩」と呼ばれる以下の構造式である。

父性隠喩.png

幼児の前で繰り返される母親の現前/不在というセリーは「母の欲望」の「謎=x」がそれぞれシニフィアン/シニフィエの関係を構成し、子どもは「xの想像的形態としてのペニス=想像的ファルス」への同一化を試みることになる(母の欲望/x)。けれどもこの同一化は結局上手くいかず、やがて「母の欲望」は〈父の名〉という「法」を名指すシニフィアンに置き換えられることになる(〈父の名〉/母の欲望)。

結果「象徴界」としての「大文字の他者(A)」が成立すると同時に、置き換えによる固有の意味作用として「象徴界における欠如=欲望」を名指すシニフィアンである「象徴的ファルス」が成立する。この段階をラカンは「象徴的去勢」と呼ぶ。

この点、ラカンは「人の欲望は〈他者〉の欲望である」という。それは上述のように人の欲望は「母の欲望」や〈父の名〉といった大文字の〈他者〉の上に成り立っていることを意味している。こうしてラカンのいう「象徴界」とは「象徴的ファルス」によって駆動されるシニフィアン連鎖の「構造」として作動することになる。


2 アンチ・オイディプスの衝撃

このようにラカンは人間の欲望が成立するプロセスとしてエディプス・コンプレックスを構造的に読み解いた。ところが、こうした「神経症的欲望(精神分析的欲望)」とは異なる欲望のあり方を提示したのが、フランス現代思想史においてポスト構造主義を代表する論客として知られるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリである。彼らが1972年に発表した共著「アンチ・オイディプス--資本主義と分裂症(1972)」は発売されるや否や若年層を中心に熱狂的に歓迎され、 1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こした。

AOにおいて究明されたテーマはずばり「欲望」である。ここでドゥルーズ=ガタリは「欲望する諸機械」という奇妙な概念を提示する。つまり「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「諸機械」に宿る非主体的、非人称的な力の作用のことをいう。

これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだす。こうした矛盾した二面性からなる連続的プロセスをドゥルーズ=ガタリは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった表現で定式化する。

ドゥルーズ=ガタリから言わせれば「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているということである。ここからドゥルーズ=ガタリは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出した。

こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ=ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分する。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるという。

すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになる。こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、同書の立場からはラディカルに批判されることになるのである。

そして同書はシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めた。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在ります。すなわち、この世界を分裂症の側から観るということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他ならならない。こうしてドゥルーズ=ガタリは「いわゆる正常=神経症」という従来の精神分析的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱した。

分裂分析が目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム(根茎)」という概念へ昇華される。「リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいう。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えている。これに対して、リゾームには全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなる。こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ&ガタリは、旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのであった。


3 否定神学システムと郵便=誤配システム

「アンチ・オイディプス」と「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは「神経症的欲望(精神分析的欲望)」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向している。いわば「神経症的欲望」が、単一的な欠如をめぐってひたすら空回りを続ける欲望観だとすれば「ポスト神経症的欲望」とは複数的な可能性に向けて発散していく欲望観であるといえる。この点、両者の欲望観を我が国の現代思想シーンの中に位置付けるとすれば、おそらく両者の相違は東浩紀氏が「存在論的、郵便的(1998)」において提示した「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」の相違へと送り返すことができるだろう。

東氏は同書において、ドゥルーズ=ガタリと並ぶポスト構造主義の論客として知られるジャック・デリダが1970年代初頭から1980年代にかけて発表した一連の実験的テクスト群に光を当てて、デリダの「脱構築」を「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」という二つの側面から再整理している。ここでいう「否定神学システム」とは、シニフィアンからシニフィエへの循環運動の「穴(ゲーテル的亀裂)」を発見した上で、この「穴」を「超越論的シニフィアン」で縫合し、全てのシニフィアンの運動をこの超越論的シニフィアンという最終審級へと回収してしまう思考様式である。こうした「否定神学システム」の先駆としてマルティン・ハイデガーの存在論が挙げられる。そしてハイデガーの強い影響下にあった1950~1960年代のフランス現代思想もやはり、ラカンやデリダも含めてこの「否定神学システム」の磁場に支配されていたといえる。

これに対して東氏は1970年代に発表されたデリダの実験テクスト群の中に「否定神学システム」から逃れていく別の思考を発見し、これを「郵便=誤配システム」と名づけた。ここでいう「郵便=誤配システム」とは端的に言えばシニフィアンが予期せぬシニフィアンに誤配される不完全で歪なネットワーク/コミュニケーション空間のことである。それは具体的には「思い違い」「読み違い」「書き違い」などといった形で我々の日常生活の中に現れる。こうした「郵便=誤配システム」からは「否定神学システム」における「穴」とは、ネットワーク/コミュニケーションの効果として顕現する仮象として把握されることになる。そして、こうした東氏の図式から見ると「神経症的欲望」は「否定神学システム」に規定されており「ポスト神経症的欲望」は「郵便=誤配システム」に折り重なっているといえるのである。


4 享楽の前景化

もっとも、このようなラカンとドゥルーズ=ガタリの対立は、1950年代のラカン理論を前提とする限りにおいてである。なぜならば1960年代以降のラカンもまたエディプス・コンプレックスを相対化する方向へと大きく舵を切っているからである。そして、このラカンの理論的変遷の中で前景化してくるのが「享楽」という概念である。

周知の通りフロイトは人の中に内在する根源的衝迫を「欲動」と規定した。そして、ラカンはその欲動の満足状態を「享楽」と呼ぶ。もっともフロイト=ラカンによれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、完全な「満足」ということはあり得ない。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義であった。人の欲望や神経症、あるいは様々な芸術的創作やイノベーションはこうした「不可能」の関数として産み出されるわけである。

まず「精神分析の倫理(1959~1960)」においてラカンは「享楽」を〈もの〉との関連で取り上げている。ここでいう〈もの〉とは、外界からの刺激を受けた心的装置が決定的に取り逃がした何かであり、象徴界の外部としての現実界を構成する。

心的装置.png

その後、ラカンはシニフィアンの間隙を縫って出現してくる〈もの〉のごとき断片を「対象 a 」という概念で捉えるようになる。そして「精神分析の四基本概念(1964)」においては「疎外と分離」の図式により、シニフィアンの枠組みの中での対象 a の位置が明らかにされた。

疎外と分離.png

けれども、この時点では享楽とはあくまで〈もの〉の側にあり、シニフィアンの世界からは対象 a を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていた。ところが、ラカンは1960年代後半から、ディスクールの理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉えるようになる。すなわち、シニフィアンの導入は、主体に〈もの〉の享楽を禁止すると同時に、新たな別の享楽の可能性を与えることになった。この別の享楽を「剰余享楽」という。

剰余享楽の導入は、シニフィアンと享楽の関係を統合的に捉えることを可能とする。こうした新たな観点から「精神分析の裏面(1969~1970年)」においては「主人のディスクール」「大学のディスクール」「ヒステリー者のディスクール」「分析家のディスクール」からなる「4つのデイスクール」の理論が展開された。

4つのディスクール.png

ディスクールの理論が示しているのは、ある社会的紐帯によって何が産み出され、結果、何が真理とされるのかという一つの構造である。これは1968年の5月革命における「構造は街頭に繰り出さない」というアジテーションに対するラカンからの反論でもある。


5 享楽の洪水

そしてさらに1972年、ラカンは「新しい主人のディスクール」と呼ぶべき「資本主義のディスクール」を提出する。

資本主義のディスクール.png

この「資本主義のディスクール」においては主体と対象 a は遮蔽線ではなく実線で結ばれている。つまり、ここでは剰余享楽の「喪失」なき「回復」が生じていることになる。すなわち、人々の要求が速やかに統計学的処理によりデータベース化され、その最適解が新製品や新サービスとして次々と市場に供給されていく資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイッサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるまま、市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送る事になるわけである。

このようにラカンにおける「享楽」は当初「不可能なもの」として登場したが、やがて「可能なもの」へと捉え直されることになり、さらには「押し付けられるもの」へと変容してしまうことになった。こうした意味からドゥルーズ=ガタリにおける「欲望機械」と70年代ラカンにおける「対象 a 」は理論的にほぼ等価的な位置にあるといえるだろう。


6 規律権力から生政治へ

そして、こうした「享楽」をめぐるディスクールの変化を社会システムにおける「権力」という観点から捉えるのであれば、おそらくそれはミシェル・フーコーのいう「規律権力から生政治へ」というパラダイム転換として把握できるだろう。

1950年代にフーコーはそのキャリアを心理学者としてスタートさせたが、1960年代に入るとフーコーはかつて自らが依拠していた「(喪失したものの回収といった主題に規定される)人間学的思考」の起源を問い直すことになった。その一つの到達点が構造主義ブームの最盛期に出版され大きな反響を呼んだ「言葉と物(1966)」となる。 こうして「人間学的思考」からの脱出に一つの区切りをつけた後、1970年代に入るとフーコーは自身の研究テーマをこれまでの知と言説をめぐる分析から、知と権力の関係をめぐる分析へと転回させることになった。

この点、フーコーは権力における「抑圧」や「排除」というネガティヴな側面から、むしろ権力における「生産」というポジティヴな側面に注目するようになる。そしてこのような観点から権力のメカニズムを捉え直した研究の成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」である。ここでフーコーは西洋の刑罰制度における「身体刑から自由刑へ」という処罰形式の転換を「君主権的権力から規律権力へ」という権力のメカニズムの歴史的変容との連関から解明しようとしまた。

そして翌年に出版された「性の歴史1-知への意志(1976)」においてフーコーは個人の「身体」を「規律」しようとする「規律権力」の傍らに、統計学的調査の対象としての「人口」を「調整」しようとする「もう一つの権力」を描き出していく。これがフーコーが「生政治」と呼ぶ新たな権力である。

そして彼はこのような「規律」と「調整」の両極から人の「生」に積極的に介入しようとする包括的な権力形態を「生権力」と呼び、そこで形成される様々な装置の中で最も重要なものの一つに個人の「セクシュアリティ」を位置付ける。


7 管理社会の出現

もっとも当時は多くの人がフーコーは現代社会を近代の延長線上の「規律社会」と見做していたと理解していた。ところがフーコーとともにポスト構造主義の時代を築いた哲学者ジル・ドゥルーズは晩年の著作である「記号と事件(1990)」において、こうした一般的なフーコー観を退け、フーコー自身がむしろ「規律社会」の終わりを示したと解釈した。こうしてドゥルーズは現代において「規律社会」取って代わり登場したのが「生政治」が全面化した「管理社会」であるという。

ここでドゥルーズが「管理社会」を語る時、念頭にあるのが資本主義の変化である。つまり「規律社会」から「管理社会」への移行は「生産を目指す資本主義」から「販売や市場を目指す資本主義」への変化、つまり消費化/情報化社会への変化に対応している。そして、こうした「管理社会」においては「障壁」ではなく「コンピュータ」が重要な役割を果たし、個々人の情報は例えば乗客のデータや小売店のデータや飲食店のデータや金融機関のデータというように、さまざまなデータの断片へと分割されている。こうして管理社会では「マーケティングが社会管理の道具」となり「いつでもどこでも」つまりユビキタスに管理され、しかもその管理は終わることなく続くと、ドゥルーズは述べている。

まだインターネットがほとんど一般的ではなかった30年以上前の時点でドゥルーズは我々の生きる現代社会の病理を恐ろしいほど的確に「予言」しているといえる。実際、現代における「管理社会」では個々人の情報はさまざまなところで捕捉され分析され記録されて、さらにこれらの情報は相互に流通しあい蓄積されていくことになる。現代を生きる我々は良くも悪くもこのシステムから逃れることはできないのである。


8 想像界における享楽の病理と象徴界の変容

このように近代から現代への社会像の変化は「享楽」という観点からは「主人のディスクール(享楽を殺す社会)」から「資本主義のディスクール(享楽を生かす社会)」への変化として、そして「権力」という観点からは「規律権力」から「生政治(管理社会)」への変化として把握できる。では、こうした社会における「正しさ」を担保する「秩序」はどのように基礎付けることができるのか。

この点、我が国における現代ラカン派を代表する論客として知られる精神病理学者、松本卓也氏はその著書「享楽社会論(2018)」において現代における「享楽」と「知性」の関連の中で社会における「秩序」の変容を論じている。以下、しばらく松本氏の議論を概観してみよう。

まず氏は「反知性主義」や「ポスト・トゥルース」が台頭する今日的な政治状況から、そもそも⑴「知性」とはそれほど信頼がおけるものであったか、そして⑵「知性」と呼ばれるもの自体が現在では変容しつつあるのではないかという論点を抽出する。

この点 ⑴「知性」とはそれほど信頼がおけるものであったかという点につき、氏は人は知性では動かされず、むしろ感情や情動や情熱の水準で初めて動かされる存在であるという事実から出発する必要があるという近来の政治理論を踏まえて、今日の非-知性的な政治動向をラカン派の哲学者スラヴォイ・ジジェクに倣い「享楽の政治」と名指し、ここから今日におけるレイシズムや極右の言説を想像界における享楽の病理として位置付ける。

そして⑵「知性」と呼ばれるもの自体が現在では変容しつつあるのではないかという点につき、氏は象徴界の変容という文脈から次のように論じている。

ラカンにとって想像界とは双数的=決闘的な二者関係が支配する世界であり、終わりない憎悪と攻撃の応酬が入り乱れる世界である。この点、50年代のラカンはこのような決闘状態は象徴的な第三項、すなわち〈父の名〉を導入することによって解決されると考えていた。すなわち、想像界は決闘であり、象徴界は決闘を終わらせる契約であり、イマジネールは常にサンボリックによって乗り越えられるということである。

ならば、我々はいま象徴的な第三項に頼ることで想像界における享楽の病理を克服できるかというと、氏はそれは不可能だという。なぜならば、今日においては「世界秩序を平和的に統御できるような覇権」はどこにも存在せず、象徴界を契約によって秩序づける「〈他者〉の〈他者〉」はなく、さらには信頼に足るような「〈他者〉は存在しない」と考えるべきだからである。

9 象徴界のフラットな使用

そして氏によれば、このような「〈他者〉の不在」の時代におけるレイシズムや極右の言説は「象徴界のフラットな使用」とでも名付けられる手法を用いているとされる。すなわち、彼らは想像界において享楽を動員する一方で、象徴界において「データ」とか「ファクト」とか「エヴィデンス」という名で呼ばれる「括弧付きの知性」を用いるということである。

こうしてレイシズムや極右の言説における「享楽の病理」は「法は法だ」「事実は事実だ」というフラットな象徴的論理を介しても展開されることになる。こうしたフラットな象徴的論理とそこに含まれる「享楽の病理」の存在は「命令は命令である」以上はどんな命令でも官僚主義的に従うことから巨悪が展開されるというハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」を想起させる、と氏は述べる。また氏はレイシズムや極右の言説が享楽の動員のために用いるもう一つの戦略として敵対性を基盤とした同一化を挙げている。すなわち、ある任意の対象を「敵」と認定することで、この世界を「敵」と「友」を切り分けて、大衆の同一化を獲得するという戦略である。

ここで氏は確かに「〈他者〉の不在」の時代においては〈父の名〉に相当する位置に立つ人物は多かれ少なかれフィクショナルなものとして機能せざるを得ず、現代において政治的な同一化を獲得するためには「敵」を作り出し、敵対性を基盤とした同一化を行うことが少なからず必要であるとしつつも、この敵対性を無限に押し進め、他者性をなきものにしたり、他者の要求を共通の闘技の土俵に乗せることすら認めないような立場はフィクショナルな父としても不十分であるという。


10 現実界における〈父の名〉の回帰としての鉄の秩序

この点、晩年のラカンは「〈他者〉の不在」の時代には「父なるもの」それ自体が変質し、フェイクとしての「父もどき」が蔓延することを的確に予告していた。セミネール21「騙されない者は彷徨う(1973~1974)」においてラカンは、現代では社会において〈父の名〉は排除されており、その〈父の名〉は「任命」の機能にとって代わられ、鉄のように冷酷な規範として社会の中に現れるという仮説を唱えている。すなわち「任命」の機能を持つ「鉄の秩序」が「現実界における〈父の名〉の回帰」として社会の秩序づけを行うことになるということである。

〈父の名〉と「鉄の秩序」はどう違うのか。そもそもラカンにおいて〈父の名〉の機能とは「欲望を法へと結びつけること」であった。生まれたばかりの子供は、母親の気まぐれな現前/不在の法則によって生死を左右される存在といえるが、まさにその母親の現前/不在という謎から子どもにおいて欲望が発生する。そして〈父の名〉は母親の現前/不在を根拠づけ、欲望をファルスへと隠喩化することで象徴的システムの安定を図る機能を持っていた。

他方で、現代のような〈父の名〉が衰退した時代においては〈父の名〉よりも「母の欲望」が優位となる。すなわち、それは社会を秩序づける原理が、父としての理想を体現する自我理想(〈父の名〉)ではなく、母性的な超自我に取って代わられることを意味している。なぜならば「意味を欠いた法」としての超自我は〈父の名〉によってその欲望が隠喩化される以前の「母の欲望」に近いからである。

そして後にラカンが「悪魔的な力」を持っていると評したように、この超自我は主体の殲滅に至るまで命令や禁止を繰り返すだけであり、どこかの時点で主体に承認を与えるということがない。

この点、精神分析家、マリー=エレーヌ・ブルースは、このような〈父の名〉から「鉄の秩序」への変化を現代における主人のディスクールの変化として解釈し、それを子どもに「然り」を告げる包摂的秩序から子どもに気まぐれで横暴な命令と「否」だけを告げる排除的秩序への変化として理解している。

すなわち〈父の名〉の機能しない現代において、普遍的なものを基礎付ける大文字の〈法〉の代わりに現れるのは、官僚主義的に「〇〇してはいけません」という「否」や「理由はともかく、私がこう言っているのだからこうすべきだ」という命令を羅列する一種の小文字の法であるということである。このような小文字の法は大文字の〈法〉が失墜した後に回帰してきた「鉄の秩序」そのものといえる。


11 統計学的超自我の出現

「いかなる理由があろうとも規則だからダメだ」「私の迷惑になるからダメだ」という反駁不可能な論理が公共空間の中に満ちることをその特徴とするこのような「鉄の秩序」はまさしく、象徴界のフラットな使用により想像界において享楽を動員する当のものであるともいえる。

そして、このような小文字の法の論理を今日支えているものは「データ」とか「ファクト」とか「エヴィデンス」などといった「政治的正しさ」によって支えられた超自我である。ブルースは次のように述べて、そのような現代社会において政治、経済、労働、医療、教育、福祉といったあらゆる領域を支配しつつある超自我を「統計学的超自我」と名付けている。

1974年のこの講義(ラカンのセミネール21の講義)の際に、任命に言及したとき、ラカンは、〈父の名〉は今日では排除されているということを付け加えています。ならば、排除されたものは現実界のなかに回帰するという公式に従って、〈父の名〉は現実界のなかに再来するということになります。排除された〈父の名〉は、どのように現実界のなかに再来するのでしょうか?どのような方法で再来するのでしょうか?〈父の名〉は、社会規範としてディスクールのなかに再来するという仮説をラカンは表明しています。現在、主人として働いているのは、このシニフィアン(=数字・平均・比)、つまり科学の権力を要求する専制の主人なのです。正規分布の中央が、社会秩序なのです。これが今日の〈父の名〉です。ポリティカル・コレクトネス、コンサンセス、存在する権利を正当化できる唯一のものについてのエヴィデンスの保証といったものがそれにあたります。このような社会秩序を、ラカンは「鉄の秩序」と評しています。この秩序は、〈父の名〉よりも獰猛なものです。なぜなら、鉄の秩序は禁止の事例がそうであったように欲望に相関しているのではなく、直接的な方法で享楽に相関しているからです。誰かが皆さんに「否」と言うときには、欲望が生じることが可能です。しかし「否」の場所に到来するものが数字であったとすれば、もはや超自我しかそれに返答することはできません。私は、この新しい超自我にふさわしい名前を見つけようとしました。この新しい超自我の名前は、自我理想を犠牲にして書くことができる名前です。今日では「(新しい超自我である)統計学的超自我(surmoi statistique)」について語ることができるでしょう。


こうして消費化と情報化が極まりグローバル化とポストモダン化がますます加速する現代は、一方でドゥルーズ=ガタリの目論み通りオイエディプスが失墜した「リゾーム」の時代ともいえるが、他方でラカンが予見したように獰猛な超自我が支配する「資本主義のディスクール」と「鉄の秩序(統計学的超自我)」の時代ともいえる。けれども、こうした時代における抵抗の拠点もまた、ドゥルーズ=ガタリとラカンの言説の中に見出すことができる。


12 倒錯的な精神病とリトルネロ

まずドゥルーズ=ガタリが「アンチ・オイディプス」において展開した議論は単にオイディプスからの逃走に尽きる単純なものではない。この点、千葉雅也氏はAOにおいてドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定しているものの、その背景にはドゥルーズが「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で展開した独自の倒錯論(急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム)が潜んでいるとして、この事実は「ポスト神経症的欲望」をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとしている。

すなわち「分裂分析」とは千葉氏によれば実は「分裂-マゾ分析」であり、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われるということである。そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになる。それゆえに、彼らの称揚した「欲望」とは、サディズム(イロニー)とマゾヒズム(ユーモア)の往還運動によってこの世界を別の仕方で多重化していく欲望であったといえるのである。

また「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは暗闇の中で子供が口ずさむ歌を切り口に「リトルネロ(リフレイン)」という概念を論じている。このリトルネロという営為は何にもまして、無秩序なカオスの中に自分のテリトリーを創り出す「領土性のアレンジメント(編成)」である。そして、それは生成流転する世界の中に暫定的な秩序としての「居場所」ないし「住み処」を創りだす技法でもある。

周知の通り「千のプラトー」という本の通奏低音をなすのは「ツリーからリゾームへ」というパラダイムシフトである。確かに「ツリー」という旧来の秩序が曲がりなりにも健在であった当時において、同書が前面に押し出した「リゾーム」という新たな秩序は時代に対する強烈な批判力となり得た。けれども「ツリー」が完全に失墜し、全世界的に「悪しきリゾーム」というべき「資本主義のディスクール」が加速する現代における抵抗の拠点はむしろ「リゾーム」を減速させる契機を創り出す「リトルネロ」に見出されるのではないか。


13 〈他〉の享楽とララングの享楽

その一方で晩年のラカンもまた「享楽」が氾濫する時代における精神分析の在り方を示している。まずは「アンコール(1971~1972)」においてラカンは「性別化の式」と呼ばれる次のような図式を提示している。

性別化の式.png

ここで「男性側の式」を示す左下(∀xΦx)と左上(∃xΦx)では「すべての男性はファルス関数に従属しているが、少なくとも一人以上、ファルス関数への従属を免れている例外が存在する」という命題が示されている。この命題は、言うなればこれまでのラカン理論における享楽の在り処を再確認するものであるといえる。

これに対して「女性側の式」を示す右上(∃xΦx)と右下(∀xΦx)では「ファルス関数への従属を免れた女性がいるわけではないが、すべての女性がファルス的関数に従属しているわけではない」という何とも不可解な命題が示されている。この命題は、これまでのラカン理論を超えた享楽の在り処を示唆するものであるといえる。

さらに70年代におけるラカンはシニフィアン連鎖以前の、言語として構造化されていない「単独のシニフィアン」を重視している。

この点、子供が最初に出会うトラウマ的シニフィアンを、ラカンは「ララング(lalangue)」という。子どもの身体がララングと邂逅した時、その痕跡は「一の印」として身体に刻み込まれ、ここにトラウマ的享楽がもたらされることになる。

すなわち、子どもにとってララングとは情報の伝達手段ではなく、トラウマ的享楽を反復するための私的言語に他ならない。しかしある時から、大多数の子どもはララングを使うことを諦め、情報の伝達手段としての言語(langage)の世界である「象徴界」へ参入する。こうして子供は次第にララングと折り合いをつけ、結果、シニフィアン連鎖によって構造化された無意識が形成されることになるのである。

この点、こうしたシニフィアン連鎖を切断して再び「ララングの享楽」へと向かう精神分析的実践を現代ラカン派では「逆方向の解釈」と呼ぶ。そして、こうしたプロセスの中で分析主体はその人だけが持つ特異的=単独的な固有の享楽のモードと向き合っていくことになるのである。


14 欲望と享楽のエチカ

こうしてみると、いまやエディプス主義者ラカンと反エディプス主義者ドゥルーズ=ガタリという二項対立は完全に過去のものといえる。むしろ両者は共に「ポスト・エディプス」として出現した「さらに悪いもの」へ抗うための思想として位置付け直す事ができるだろう。

そして、こうした観点から両者を読み直し、その上で改めて両者の差異を問い直していくその過程の中にこそおそらく、この「さらに悪いもの」が席巻する時代における欲望と享楽のエチカを見出すことができるのではないだろうか。





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