欲望と享楽⑵ 作品論1
1 不思議の国のアリス/鏡の国のアリス
⑴ 二つのアリスの物語
児童文学の不朽の名作「不思議の国のアリス」は、作者であるルイス・キャロルが知人の少女、アリス・リデルのために即興で作った物語がもとになっていることで知られている。キャロルはこの即興物語を「地下の国のアリス」という名の手書きの本にしてアリスに進呈する一方、知人たちに勧められ同作の出版を決意した。こうして大量の加筆修正と紆余曲折の出版過程を経て1865年11月に刊行された「不思議の国のアリス」は各方面から好評をもって迎え入れられた。
一躍、人気作家となったキャロルはさっそく同作の続編を構想しはじめ、1871年12月に「鏡の国のアリス」が出版され再び好評を博した。以降、この二つのアリスの物語は世界中で聖書とシェイクスピアにつぐと言われるほど多様な言語に翻訳され、現代においても児童文学はもちろん美術、映像、ファッションなど様々な表象文化に多大な影響を与え続けている。
⑵「不思議」のあらすじ
初夏のある日、アリスは土手で読書する姉の側で退屈していたところ、その側を服を着た白いウサギが慌ただしく駆け抜けていきました。そのウサギを追ってウサギ穴の中へ飛び込み、アリスは地の底へと落下していく。
行き着いた先は薄暗い広間であった。小さな扉の外に見える素敵な庭園に行きたいと思ったアリスはその辺にあった変な液体やケーキを飲み食いして小さくなったり大きくなったりする。途方に暮れたアリスは自分が流した大量の涙の池で溺れてしまう。そして、その池の中にいつの間にか入り込んでいたネズミやアヒルやドードーらと出会い、成り行きでアリスは党大会レースに出場することになる。
その後、アリスはどうにか自分の身体の大きさをちょうどよいサイズにして、チャシャー猫に出会ったり、帽子屋と三日月ウサギの奇妙なお茶会に参加したりと、不思議の国を彷徨い続ける。
そして、最後にやってきたお城で癇癪持ちの女王にクロッケー大会やら理不尽な裁判やらに強制参加させられたアリスはとうとう怒りを爆発させ「あんたたちなんかただのトランプのくせに!」と叫びます。ここで彼女はこれまでの出来事が夢であったことに気づく。
アリスは今みた夢を姉に語り、走り去っていった。一人残った姉は、この小さな妹は大人になってもきっと、純真な心のままでいるのだろうと、その将来に思いを馳せるのであった。
⑶「鏡」のあらすじ
前作から半年後。イギリスの祝祭である「ガイ・フォークス・ディ」の前夜、暖炉の前で愛猫と遊んでいたアリスは、鏡の中にある世界を空想しているうちに、実際に鏡の中に入ってしまう。
この「鏡の国」ではチェスの駒が意思を持って動き回り、世界全体がチェス盤のようになっていた。そして、アリスは赤の女王の助言により、自身もこの世界で繰り広げられるチェスゲームに参加することになる。
こうして歩兵(ポーン)となったアリスはトゥイードルダムとトゥイードルディー、白の女王、ハンプティ・ダンプティ、白の騎士との奇妙な遭遇を経て、最終的にはいつのまにか自分が女王(クィーン)になったことを知る。
けれども、アリスは赤の女王と白の女王から不条理な質問を浴びせられ続け、出された食事も食べることができない。そしてアリスが女王就任のスピーチを始めようとすると、途端にあたりは大混乱に陥り、またもアリスが怒りを爆発させたところで彼女は夢から覚める。そしてアリスはこの夢ははたして「自分の夢」だったのか、それとも「赤の王の夢」だったのかと自問するのであった。
⑷ ルイス・キャロルとASD
このような「不思議」と「鏡」という稀有な作品を生み出したルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは1832年、イギリスのダーズベリーに11人兄弟の第3子長男として生まれた。ドジゾン家はアイルランド系の牧師の家庭であり、キャロル(ドジソン)も敬虔なキリスト教徒でしたが、のちに英国国教会の儀礼主義への疑義を持って以降、生涯にわたり宗教的葛藤を抱えていたとされている。
長じてオックスフォード大学クライスト・チャーチカレッジに入学したキャロルは、特に数学に関して優秀な成績を収め24歳から同校の数学講師を務め、1898年に66歳で亡くなるまで終生大学寮で生活した。そして同校の学寮長ヘンリー・リデルの娘がアリスである。先述のように「不思議」と「鏡」の物語は彼女との交流の中で生み出されたものであった。
近年においてキャロルは「自閉症スペクトラム障害(ASD)」であったことが指摘されている。自閉症はかつて子どもの精神病とみなされていたが、1970年代になると自閉症は精神病とは異なる脳の器質的障害と認識されるようになった。さらに1980年代以降、古典的な自閉症である「カナー症候群」とその診断基準を部分的に満たす「アスペルガー症候群」を「スペクトラム(連続体)」として捉える考え方が有力となり、2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-Ⅴ)」において両者は「自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder)」として統合されることになった。
ASDの特性とは端的にいうと「社会的コミュニケーションの持続的障害(場の空気が読めない)」と「常同的反復的行動・関心(独自のこだわりに執着する)」という2点から成り立つ。この点、キャロルの場合も、アリスをはじめとするリデル家の少女の写真を執拗に撮って回り、リデル夫人の不興を買うもまったく意に解さず、あまつさえカメラをリデル家に置きっぱなしにしていたというエピソードや、鉄道模型の時刻表を自作したり、文通、来客、招待といった交流関係を逐一記録するというエピソードの中に「社会的コミュニケーションの持続的障害(場の空気が読めない)」と「常同的反復的行動・関心(独自のこだわりに執着する)」というASDの特性を見出すことができる。
⑸〈他者〉の回避
このようなキャロルのエピソードからは一つの傾向性を見出すことができる。それは端的にいうと制御不能なものとしての〈他者〉の回避である。そして、この〈他者〉の回避という視点から自閉症(ASD)の構造を捉えたのが、ロジーヌ・ルフォールとロベール・ルフォールの夫妻である。
1954年にフランスの精神科医ジャック・ラカンのセミネールにおいて自閉症の子どもの症例を発表して以来、50年以上の長きにわたりラカン派の自閉症研究を主導してきたルフォール夫妻はその集大成的な著作「自閉症の区別(2003)」において〈他者〉の回避という視点を導入することで、自閉症を神経症・精神病・倒錯という従来のラカン派の鑑別診断に還元不可能な「第四の構造」として捉える立場を打ち出している。
この点、ラカンによれば子どもは〈他者〉の世界に参入することで主体化を果たすとされている。ここでいう〈他者〉とはまずは「母国語」という言語秩序(=象徴界)のことであり、次にこうした言語秩序の外部(=現実界)から到来する「まなざし」や「呼び声」といったラカンのいう「対象 a 」を指している。そして、こうした〈他者〉を徹底して回避することによって自身において制御ないし計量可能な、いわば〈他者〉なき世界を作り上げるという構造が自閉症においては見出されるということである。
⑹「表面」の作家としてのキャロル
こうしたキャロルに見出される自閉症的な構造は「不思議」や「鏡」といったアリスの物語にも反映されているといえる。この点、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは「意味の論理学(1969)」において、キャロルを「表面」を体現する作家として位置付けている。
同書はその第13セリー「分裂症と少女」を境に前半と後半に分けられる。その前半では「意味=出来事」に規定された世界の「表面」の位相が論じられ、その後半では「表面」の下部構造としての「物体」に規定された世界の「深層」の位相が論じられる。
なお「意味=出来事」における命題の「真/偽」を判定する場が「表面」の上部構造である「高所」になる。そして、このような高所・表面・深層というドゥルーズの三層構造は神経症・倒錯・精神病というラカン派の鑑別診断に概ね対応するとされる。
同書においてドゥルーズはアリスの物語におけるキャロルの言葉遊びを取り上げ「意味=出来事」の本質とは「無-意味(ノンセンス)」であるというテーゼを提出した。例えばキャロルの造語である「スナーク」は「スネーク(蛇)」や「スネイル(蝸牛)」や「シャーク(鮫)」になったりと様々に生成変化する。
この点、ドゥルーズによれば特別な造語でなくとも「表面」においてはあらゆるシニフィアンは潜在的には「無意味(ノンセンス)」であり、そのコンテクスト次第で多方向に意味を発散させていくとされます(接続過剰)。これはラカンにおけるシニフィアン連鎖、デリダにおけるエクリチュールに相当する議論である。
そして、このような語の生成変化を規定する超越論的シニフィアンとして、ドゥルーズはひとつの〈裂け目〉を想定する。つまりキャロル的表面はこの〈裂け目〉が様々に駆け巡ることによって産み出されている事になる。
こうした〈裂け目〉がさらに裂ける=多孔化/複数化した世界が「深層」である。「深層」とはもはや「無-意味」すら生み出さない「非-意味」的な断片としての事物それ自体だけの世界である(切断過剰)。ここでドゥルーズが「深層」を体現する作家として位置付けたのが現代演劇に絶大な影響を与えたとされる作家、アントナン・アルトーである。
アルトーの文学はキャロル的な「無意味(ノンセンス)」を生産しない一方で「非-意味」的な断片によるメレオロジー的なまとまりを形成する。そして、ドゥルーズはこのようなまとまりをアルトーに倣い「器官なき身体」と呼ぶのであった。
⑺ 深層の言葉と表面の言葉
「意味の論理学」においてドゥルーズは第13セリーの最後で「キャロルの全てを引き換えにしても、われわれはアントナン・アルトーの一頁も与えないだろう」と述べアルトーを称賛する。けれども、その直後、すぐさまに「(キャロルが描く)表面には、意味の論理のすべてがある」とも述べている。
このように「意味の論理学」の時点ではドゥルーズのキャロルに対する評価はある種の両義性を孕んでいる。けれども「意味の論理学」以降、ドゥルーズ哲学はアルトー的な「深層」を拒絶しキャロル的な「表面」を偏愛する方向に向かっていくのであった。
そして晩年のドゥルーズは「批評と臨床(1993)」において、キャロルは「表面」の言語を獲得することで「深層」から華麗に逃れることができたという。そしてドゥルーズはこうした「表面」の言語によって書かれた文学こそが、文学の描く世界のすべてになりうるとまで断言している。
⑻ アリスからライトノベルへ
キャロルがアリスの物語の中で駆使する数々の「無意味(ノンセンス)」はおそらくASD的な言語解釈のズレから産み出されたものだったのであろう。いわばキャロルは言語を「母語=〈他者〉」ではなくある種の「情報の束=データベース」として読み出していたと思われる。そして、こうした「データベース」としての言語で紡がれたアリスの物語をドゥルーズは「表面」の言葉として称賛したのであった。
この点「批評と臨床」においてドゥルーズは、キャロルの他に、やはりASDの特徴を持つレーモン・ルーセルやルイス・ウルフソンといった作家を評価している。彼らはアルトーのように言語の「深層」に魅入られるのではなく、言語の「表面」をある種のデータベースとして捉えて、その内側からハッキングすることで転覆させようとした。そしてドゥルーズは、このような言語のハッキング、すなわち「言語をその慣習的な轍の外に引きずり出す」ことこそが、現代において「言語を狂気させる」ことに他ならないと述べている。
ここには、いわば「データベース文学」とでも呼べる文学観がある。この点、東浩紀氏は「ゲーム的リアリズムの誕生(2007)」において近代的な「大きな物語」が衰退したポストモダンにおいては、ポップカルチャーのデータベースから形成される人工環境に依拠した文学が台頭するといい、その典型例として氏は1990年代以降、文芸市場でその存在感を急速に強めてきた「ライトノベル」と呼ばれる作品群に注目していた。
こうしてみると、ライトノベルという文芸ジャンルは現代における「データベース文学」の一大潮流として捉えることが可能であり、翻ってアリスの物語はライトノベルの先駆的作品として読むことができるように思えるのである。
2 花物語
⑴「少女期」の出現と少女小説
近代教育システムの確立に伴う「少女期」の出現や、1899年に公布された高等女学校令などを契機して、明治時代後期においては少女雑誌の創刊が相次ぎ、ここに「少女小説」というジャンルが誕生した。「少女世界」「少女画報」といった少女雑誌には多くの著名な作家が文章や絵画を寄せ、少女小説は従来の家父長制社会における「家の娘」という呪縛から少女を解放して、近代的自意識の発露へと導く役割を果たした。
こうした少女小説の初期の代表作として吉屋信子氏の「花物語」が挙げられる。同作は吉屋が20代の頃に執筆した短編連作集で1916年(大正5年)から1924年(大正13年)まで「少女画報」に断続的に連載され、1925年(大正14年)から1926年まで「少女倶楽部」に3編が連載された。本作以前の少女小説では少女と母と別離を主題とする作品が多かったが、本作においては少女同士や少女と年上の女性との交流が重要な主題として取り上げられる。
⑴「白百合」が称揚したもの
例えば本作のうちの1編「白百合」は次のような話である。
物語は主人公「私」の通う女学校に新任の音楽教師がやってくるところから始まる。まだ女学生の初々しい雰囲気を幾許も残し、教師らしさとはまるで程遠く、おずおずとはにかむその姿が印象的な「葉山先生」は瞬く間に女生徒たちの心を囚えてしまう。
そして「私」も葉山先生に想いを募らせるあまり、その日記には毎日の如く葉山先生の一挙手一投足が偏愛的に書き連ねられていくわけであるが、気の弱い「私」は先生とお近づきになりたくともとても近づけず、ただ悶々とした日々をおくっていた。
そんな折に、上級生の誘いから禁を犯して活動写真へと出かけ、遅い帰宅を寮監に咎められた「私」は、葉山先生が咄嗟に機転を利かした偽りのアリバイ証明のおかげで窮地を救われる。
この御恩は忘れませんと泣き縋る二人に対して、葉山先生は自分もあの日、実は同じ場所に行っていたことを告白した後、次のような後にも先にも一度限りの熱弁を振るう。
しかし、この事を、私のこの心を長く忘れないで、どうぞ(純潔)を、常に変わらぬ魂の純潔、行為の純潔を私に誓って守ってください。これが私の対するあなた方お二人の何にも優る報恩ですの、ね、忘れないで、純潔!私の大好きなあの白百合の花言葉の(純潔)をお互い守りましょう、生涯通じて私達は!
(「花物語」より)
その後、健康を害した葉山先生は教職を辞して故郷に帰り、翌年には帰らぬ人となりました。そして物語は「私」の次のようなモノローグで結ばれる。
こうして先生のお姿は見えなくなりました。けれども先生の清い愛の生命を形取った白百合の花が(純潔)と囁いてこの土の上で咲く限りは、その花の姿とともに先生の、みこころは私共に永久に生きるのでございます。
(「花物語」より)
言うまでもなく、白百合の花は「純潔」の象徴として知られている。けれども、ここで葉山先生が言っているのは父権主義的な貞操観念に規定された処女としての「純潔」ではない「魂の純潔、行為の純潔」である。そして「私」は、こうした意味での「純潔」を「清い愛の生命」として称揚するのであった。
⑶「エス」から「百合」へ
本作が支持された背景には「エス」と呼ばれた当時の女学校文化がある。「エス」とはsisterhoodの頭文字Sからきた隠語で、女学校の上級生と下級生、あるいは同級生同士など、少女同士の擬似姉妹的な関係性をいい、その特徴は高尚かつ清純な精神性の称揚にあった。これは当時「変態性欲」として問題視されていた同性愛との差異化を図る意味合いと、家父長制社会が押し付ける「良妻賢母」という模範的女性像に抗う少女同士が結び合うというカウンターカルチャーとしての意味合いを持っていた。
戦後、男女の自由恋愛が普及するにつれて現実社会での文化としての「エス」は衰退していくが、その精神性は80年代において少女小説の復権を掲げた氷室冴子作品を経て、その後「百合」というジャンルに引き継がれ、ゼロ年代以降は「マリア様がみてる(今野緒雪)」や「ゆるゆり(なもり)」などの成功を受けて、現代サブカルチャーを規定するコードの一つとして定着するに至るのである。
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