空間的内部における時間的外部


1 動員の革命の希望と失望

2020年代という時代は新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の出現とともに幕を開けた。このコロナ・パンデミックは図らずも世界的危機が「危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)」よりも、その「危機についてのコミュニケーション(COVID-19をめぐる情報がもたらす社会的な混乱)」として出現するということ明らかにした。

こうした状況を宇野常寛氏は『砂漠と異人たち』(2022)において「相互評価のゲーム」と名指している。同書は「第一部 パンデミックからインフォデミック」において今日における「Infodemic(インフォデミック)」と名指されるような傾向は世界中がコロナ・パンデミックに踊らされる遥か以前から、すなわちSNSが普及し始めた2010年台初頭から始まっていたと述べている。

当時、一世を風靡した「動員の革命」という言葉には新聞やテレビといったマスメディアを介したトップダウン的動員ではなく、市民一人ひとりが自発的に発信するソーシャルメディアを介したボトムアップ的動員から生まれる新しい民主主義への希望が込められていた。果たして「アラブの春」から東日本大震災の反原発デモまで世界を席巻した「動員の革命」の手法はやがて市民運動だけにとどまらず、政治、経済、文化全般へと波及していった。

しかしながら今日において、かつての希望は失望と化し「動員の革命」を可能としたSNSのプラットフォームは新しい民主主義どころか、むしろ民主主義の行き詰まりに加担しているとさえいえる。いまやSNSは一方ではフィルターバブルによって自分たちが見たいものだけを目に入れて聞きたいものだけを耳に入れることで精神を安定させたい人々にフェイクニュースや陰謀論という名の麻薬を与える装置となり、もう一方では正義の名のもとに他の誰かに石を投げる私刑の快楽を手放せなくなった人々に安価で高性能な投石機を与えている、と同書はいう。

こうしてSNSの普及により「他人の物語」に感情移入することよりも「自分の物語」を発信して他者に承認されることに快楽を見出した人々は閉じたネットワークの中での相互評価のゲームに夢中になり、一人でも多くの他のプレイヤーの共感を獲得して自分の影響力を最大化しようとする。そこでは、ある人は経済的な集客のために、ある人は政治的な動員のために、ある人は何者でもない自分が世界に一石を投じるために--あるいは誰かに自分の価値をほんの少しだけでも認めて貰いたいために--このゲームに参加する。

そして、このような情報環境においては常に「問題そのもの」ではなく「問題についてのコミュニケーション」の方がクローズアップされて世論を形成することになる。なぜならば「問題そのもの」の解決や再設定を試みることよりも「問題についてのコミュニケーション」に対する賛否を表明した方が遥かに容易く多くの他者の共感=承認を集めやすいからである。こうして今日の民主主義においては「問題についてのコミュニケーション」ばかりが重視され「問題そのもの」を議論することが難しくなっている。

こうしたことから同書はこの閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの外側に脱出するには、その「時間的な外部」に立ち、情報に対する「速度」の決定権を取り戻す必要があるという。もとより氏が以前から推進している「遅い」インターネットという草の根的な運動はこうした問題意識に根ざしていた。

けれども氏がその「遅い」インターネットという運動を本格的に実行し始めたまさにその時に世界はこのコロナ・パンデミックにより、さらに「速い」インターネットに呑み込まれていくことになった。こうした状況において「遅い」インターネットを実現するための前提として、氏はもっと根源的な人間の在り方、世界の見方のようなものを提示することが必要なのではないかと考えるようになったという。

そこで同書は閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの「時間的な外部」に立つための知恵をまずは二人の先人の「失敗」の歴史から学んでいく。その二人の先人の一人目が今日において「アラビアのロレンス」の名で知られる第一次世界大戦時に活躍したイギリスの陸軍将校トーマス・エドワード・ロレンスであり、二人目が現代日本を代表する不世出の作家村上春樹である。


2 アラビアのロレンス問題

こうして「第二部 アラビアのロレンス問題」では数奇で毀誉褒貶に満ちたロレンスという人物の生涯が辿られる。「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスは1988年、イギリスのウェールズ地方に生まれた。私生児として生まれ複雑な家庭環境で育ったロレンスは高い知力と強靭な精神力を持つ青年に成長する。アラブの城塞を調査したオックスフォード大学の卒業論文が高く評価され、卒業後は考古学者の卵としての道を歩み始めたロレンスは次第にアラブ世界の「砂漠」に魅せられていく事になる。

こうして複数回に及ぶ長期の発掘調査を通じてロレンスは若くして当時中東にもっとも精通したイギリス人の一人になっていた。そのため第一次世界大戦が勃発するとロレンスはその知識を買われ、イギリス軍の情報将校(スパイ)としてアラビア半島に派遣された。当時のアラビア半島はドイツを中心とした同盟国の一角を占めるトルコ(オスマン帝国)の支配下にあり、協商国の盟主であり当時のエジプトを実質的に支配していたイギリスが侵攻を試みている地域であった。そのためイギリスはトルコからの独立の機会を狙うアラブの諸民族の蜂起を実現させる必要があり、ロレンスの任務はアラブの諸民族の反乱を焚きつけ支援することにあった。

アラビアに派遣されたロレンスはその大半を砂漠の遊牧民ペドウィンが占める反乱軍の中に現地の衣裳を身にまとい行動を共にするようになった。ロレンスの戦略はアラビア半島におけるトルコ軍の生命線であるヒジャーズ鉄道の爆破を反復することでトルコ軍の補給を妨害しつつ、その戦力の少ない部分を鉄道の防衛に集中させることにあった。ロレンスはペドウィンたちを扇動してトルコ軍の基地が置かれた戦略拠点であるアカバを攻略した後、目論見通りヒジャーズ鉄道に対する破壊活動を加速させ、シリアの首都ダマスカス占領に大きな役割を果たすことになる。

大戦後、ロレンスは砂漠の英雄「アラビアのロレンス」として時の人となるが、その一方で彼は戦争神経症やアラブの人々を扇動したことへの罪悪感、アラブ独立をめぐる政治闘争に敗北した挫折感などからすっかり精神を病んでしまっていた。その後、ロレンスは偽名を用いて一兵卒として英国空軍に従軍する傍らで、私生活ではオートバイ、ブラフ・シューペリアを駆りスピードの快楽に取り憑かれていった。そして1935年、ロレンスは軍を退役し本格的な隠遁生活に入った矢先に突然の事故死を遂げることになる。

今日において「アラビアのロレンス」と呼ばれるかの人物の評価は毀誉褒貶に満ちている。ある人は砂漠の英雄として信仰し、ある人は帝国主義の走狗としてアラブの人々を利用したペテン師だと罵倒する。こうした中でロレンスという数奇な運命をたどった近代人を通して20世紀という時代に人間が直面した問題を論じる試みも数少ないながらも存在する。

例えばハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(1951)においてロレンスは第一次世界大戦という〈グレート・ゲーム〉に匿名的かつ自己目的的に没入することで自己解放を成し遂げた一方で「アラビアのロレンス」の名だけが肥大化した大戦後の世界はロレンスにとって耐え難いものであり、その結果、晩年の彼は無名の一兵卒を演じながらイギリスの田舎道でブラフ・シューペリアを駆り猛スピードで走ることでその空虚さを埋めていたという。

また、コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』(1956)においてロレンスは近代社会の外部を欲望する「アウトサイダー」であり、砂漠という灼熱の環境下において身体を精神によって制圧することで自己解放を求めていたが、その一方で砂漠に赴くことで開かれた身体の感覚そのものに向き合うことができなかったという。

そして1962年に公開され今日におけるロレンス像を決定づけたデヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』は今日において映画史に輝く古典的傑作として評価されている一方で、ロレンスの神話化に加担した戦犯として糾弾されることも少なくない。確かに本作はロレンスを一貫したアラブ独立のために身を賭した人物として描いている。しかしその一方で本作はロレンスが何を成し得たかではなく、むしろ何を成し得なかったに焦点を当てている。この映画の主題はオリエンタリズムに駆動され砂漠をロマンチックな外部とみなしたことで敗北した人間を描くことにあった。

リーンはこの映画の中でのロレンスをウィルソンと同じようにその精神の力で身体を支配することで自己解放を試みた人物として描く一方で、彼の失敗を性的欲望の問題に象徴させている。リーンは劇中前半でロレンスに「Nothing is written(運命はない)」という台詞を言わせるが、劇中後半においてその信念はやがて自身の身体の内側から芽生えた倒錯的な性的欲望によって自壊していくのであった。

リーンの描くロレンスは砂漠という過酷な環境がもたらす苦痛に耐えることで肉体的苦痛を精神的高揚に純化する自己解放の回路を構築した人間であった。しかしその砂漠に生きる人々に性的に触れた時、身体の内部に湧き上がる欲望によって、切断したはずの精神と身体がその結びつきを取り戻し、この回路は容易く崩壊することになった。

そしてこの精神と身体における不可分性の問題は、ロレンスがアラブ世界の砂漠に「外部」を見出した問題と等号で結びつく。すなわち、ロレンスは砂漠に「外部」を求める一方で、現実に存在する砂漠そのものを受け止めることができていない。換言すればロレンスにとって砂漠とは自己解放のための装置でしかなく、それゆえに彼にとって砂漠とは過酷な世界である必要があった。しかし現実の砂漠を生きる人々にとって砂漠とは、いつかは水と緑が回復されるべき土地なのである。こうしてみるとロレンスの失敗は砂漠の中にあるはずのない「外部」を求めていた時点で既に約束されていたのであったといえる。

時に人は「Nothing is written(運命はない)」と信じるための「外部」を必要とする。そして人は「外部」を求める中で自らを制約する運命の産物たる身体を無化する必要がある。だからこそロレンスは砂漠の灼熱にその身を晒すことで精神による身体=運命の無化を試みた。すなわち、ロレンスにとって砂漠とは「Nothing is written(運命はない)」という自己解放のための幻想を生む装置に過ぎなかった。それゆえに彼は現実の砂漠に触れることができなかったのである。

そして同書はロレンスの失敗は彼が砂漠をこの世界の「内部」ではなく「外部」として消費してしまったことに起因すると総括した上で、今日の情報社会において身体から切り離された精神(SNSアカウント)を用いて21世紀における〈グレート・ゲーム〉であるところの「相互評価のゲーム」に没入する現代人は誰もがロレンスのような存在であるとして、ロレンスの敗北から抽出した「ここではない、どこか(外部)」ではなく「ここ(内部)」でいかにして〈砂漠〉を発見できるかという問いを「アラビアのロレンス問題」と名付けた。


3 デタッチメントからコミットメントへ

続く「第三部 村上春樹と「壁抜け」のこと」ではこの「アラビアのロレンス問題」を解くための手がかりを「デタッチメントからコミットメントへ」と形容される村上氏の作家人生の中から見出していく。

よく知られるように1995年前後に村上氏は「デタッチメント」から「コミットメント」へとその倫理的作用点を転換させている。この阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件に象徴される1995年とは戦後日本社会が大きな転換を迎えた年であると見做されている。

この点、宇野氏は『リトル・ピープルの時代』(2011)において「ビッグ・ブラザー(国民国家)」と「リトル・ピープル(グローバル資本主義)」という概念から戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(1968年以前)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968年〜1995年)」「リトル・ピープルの時代(1995年以降)」に区分した上で、村上氏のいう「デタッチメント」から「コミットメント」への転換を「ビッグ・ブラザーからのデタッチメント」から「リトル・ピープルへのコミットメント」への転換として位置付けている。

「政治の季節」が終焉した「60年代末の記憶」から出発した作家である村上氏がまず打ち出したのが「デタッチメント」という態度であった。それは端的にいうと例えば「マルクス主義」のような20世紀を席巻したイデオロギーによって人々を動員するビッグ・ブラザー的な「悪」からの「デタッチメント」である。このような「デタッチメント」を一つの倫理として提示した作品が村上氏の代名詞ともいえる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)であり、ここから逆算して「60年代末の記憶」を精算した作品が村上春樹を国民的作家に押し上げたベストセラー『ノルウェイの森』(1987)ということになる。

そしてあの1995年に完結した『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜1995)において村上氏はマルクス主義に代表されるビッグ・ブラザー的な「悪」に対する「デタッチメント」からオウム真理教が象徴するリトル・ピープル的な「悪」に対する「コミットメント」へと転回した。

同作で提示されたコミットメントのモデルは歴史を物語(=他人の物語)ではなくデータベースとして捉え直すことで普遍的な「悪」に対峙する「個」の物語(=自分の物語)を読み出していくという意味で今日のインターネット的な世界観を先取りするものであった。けれどもそれは同時に陰謀論や歴史修正主義といった今日のインターネットが抱える問題を先取りするものでもあった。さらに氏がここでコミットメントの根拠としたヒロインによる承認は主人公の自己実現のコストをヒロインに丸投げしてしまうという難点を抱えていた。

こうしたことから宇野氏は村上氏の想像力はこのとき「暗礁に乗り上げ、そしてまだ帰還していない」と述べている。さらには『海辺のカフカ』(2002)『1Q84』(2009〜2010)『騎士団長殺し』(2017)といった近年の作品においてはそのコミットメントはもはや中年男性のナルシシズムの確認にまでに縮退してしまっており、肝心のリトル・ピープル的な「悪」への対峙という本来の主題を半ば放棄してしまっているという。


4「遅い」ランナーとして世界を「走る」ということ

そして本書の結語となる「第四部 脱ゲーム的身体」はランナー村上春樹に対する批評でもある。村上氏は熱心な市民ランナーとしても知られている。時に1980年代初頭、当時30代前半だった村上氏はそれまで経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を他人に譲り渡して専業作家となり、初の長編小説となる『羊をめぐる冒険』を書き上げた後、体調管理と禁煙を兼ねて「走る」ことを始めて以来、世界各地で行われるフルマラソンやトライアスロンの大会に出場し続けている。氏はかつて『走ることについて語る時に僕の語ること』(2007)というエッセイ(氏によればメモワール)で「走る」ことに対して、おおよそ次のような所感を述べている。

村上氏は自分は良くも悪くも生まれつきチーム競技に向いた人間ではないとして、そもそも他人を相手に勝ったり負けたりすることにはあまり興味がなく、それよりも自分自身が設定した基準をクリアできるかできないかの方に関心が向くため、そういう意味で長距離走は自分のメンタリティにぴたりとはまるスポーツであったと述べる。

この点、優勝を目指すようなトップランナーは別として、一般的な長距離走ランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑み、そのタイム内で走ることができれば彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もしできなければ「何かが達成できなかった」ことになるけれど、仮にタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり次につながっていくポジティヴな手応えがあれば、あるいは何かしらの大きな発見があれば、多分それは一つの達成になるだろうと、村上氏はいう。換言すれば走り終えて自分に誇り(あるいはそれに類似するもの)が持てるかどうかが、それが長距離走ランナーにとって大事な基準となるということである。

同じことは小説の仕事についてもいえると村上氏はいう。小説家という職業に勝ち負けはなく、発売部数や文学賞や批評の良し悪しは達成の一つの目安かもしれないがそれは本質的な問題ではなく、あくまで書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事なのであると述べる。こうした意味で氏においてフルマラソンを「走る」ことは小説を「書く」ことと極めて近い境域にあるといえそうである。

こうしたことから村上氏は「走る」ことの達成基準を少しづつ高く上げていき、それをクリアすることによって自分を高めていったが、40代半ばを迎えたあたりからそういう自己査定システムの雲行きが少しづつ怪しくなり始める。それまで氏はフルマラソンをだいたい3時間半の目安で走れており、体調が多少悪くてもタイムが4時間を超えることはまず考えられなかったけれども、40代後半からは3時間40分台で走ることがだんだん辛くなり、ついには4時間すれすれの線に近づいてきたそうである。こうしたことから「走る」ことが以前のように手放しで楽しいと思えなくなった村上氏は「走る」こととの間に緩やかな倦怠期が訪れていたという。そこには払っただけの努力が報われない失望感と、開いているべきドアがいつの間にか閉ざされてしまったような閉塞感があり、このような状態を氏は「ランナーズ・ブルー」と名付けている。

けれども、この文章が記された2005年の5月末から10年ぶりにマサチューセッツ州ケンブリッジで暮らすようになった村上氏は再び「走りたい」という気持ちがどこからともなく湧き上がり「走る」ことが再び日々の生活の一つの柱となる。この点、氏にとって「まじめに走る」というのは具体的には週60km走ることを意味している。つまり週に6日、一日に平均10km走るということである。6月はその計算通りちょうど260km走り、7月はさらに距離を伸ばし310km走り、8月は350kmを走ったという。そして、この時点での氏の目標は11月6日に開催されるニューヨーク・シティー・マラソンであった。前回参加した千葉県某所で行われたフルマラソンの結果が散々で、氏によれば「こんな惨めなレースは初めてだった」こともあり、2ヶ月後のニューヨーク・シティー・マラソンに賭ける意気込みが文章の端々から伝わってくる。

しかしその結果は氏によればあまり好ましいものではなかったらしく、曲がりなりにも完走はしたけれど、やはり今回もあと少しで4時間を切れなかったことに納得がいかず、そのリベンジも兼ねて約半年後の2006年4月に出場したボストン・マラソンでも完走はできたもののやはり満足のいくタイムではなかったようだ。けれども氏は同書において、これからタイムがもっと落ちようとも、とにかくフルマラソンを完走するという目標に向かってこれまでと同じように、時にはそれ以上の努力を続けていくと記されている。

このように氏が記してから約15年の月日が流れた2020年、70代を迎えた村上氏は同年2月に出場した京都マラソンでついに生まれて初めてフルマラソンの完走に失敗してしまう。そもそも70歳を過ぎてフルマラソンの大会にエントリーしていることそれ自体がもう並大抵のことではないはずだが、氏にとってこの出来事はかなり衝撃的だったらしく、ラジオやインタビューなどあちらこちらでこの話題に繰り返し触れている。

これに対して自身も市民ランナーである宇野氏は先輩ランナーとしての村上氏の高い走力にリスペクトを示しつつも、70歳を過ぎたランナーがフルマラソンの完走失敗を悔やむ姿に疑問を持ち、村上氏の「走る」ことに対する考え方に僅かだが決定的な違和感を持ったといい、その違和感は村上氏の近年の小説に感じる違和感につながっていると述べる。

この点、ロレンスも村上氏もある時期から「走る」ことをその暮らしの中に取り入れていった点で共通している。彼らはもとより相互評価のゲームを勝ち抜くことを目的するような段階にはすでになく、あくまで自身の「自立」を目指し、共に一定以上の「速さ」で走ることを目指していた。しかしながら、ここに最後の、そして最大の罠があり、同時に「アラビアのロレンス問題」を解く鍵はここにある、と同書はいう。

ここで本書は村上氏の『走ることについて語る時に僕の語ること』を参照し、村上氏にとって「走る」ことは--まさに彼の近年の作品と同様に--競技スポーツとライフスタイルスポーツの中間にある--ある種の理想的な自己像を維持して確認するための行為としての--いわば「ナルシシズムスポーツ」であると位置付けている。

その上で本書は村上氏とは別の仕方での「走る」主体として「遅い」ランナーというべき主体を提案する。ここでいう「遅い」ランナーとはタイムを気にすることなく走ることに疲れたら休むランナーであり、すなわち、それは相互評価のゲームから降りた主体であり、かつそれでいながら人間を世界から切断する「速さ」の呪縛からも逃れて「遅さ」を受け入れることで世界に開かれている存在を指している。


5「事物を通じたコミュニケーション」としての批評

もちろん本書のいう「走る」とは単なる比喩に過ぎない。すなわち、真の意味での「自立」を果たす上で重要な条件とは、その「遅さ」によってこの世界に「移住者」のように接して歴史に「見られる」ことであり、そしてその「遅さ」により生じる自己変容を受け入れた時に、人は初めて住み慣れた街の中に時間的な外部としての〈砂漠〉を発見することができるということなのである。

ここで同書は空間的内部の中に時間的外部を見出すための三つの具体的実践を提案している。その第一の実践は人間以外の事物に触れることである。すなわち、相互評価のゲームがもたらす承認への中毒を解毒するためにはまず事物と「虫の眼」でコミュニケーションすることで孤独に世界に接する時間を回復する必要があるということである。そして、ここで大事なのは事物の「消費(事物を単に受け取り用いること)」ではなく「愛好(事物に対して独自の問題を設定し探求すること)」であるという。

続く第二の実践は人間以外の事物を「制作」することである。人は「虫の眼」をとりわけ事物(作品)を「制作」するときに発揮することができるのである。そして第三の実践は「制作」を通じて他者と接することである。すなわち、人間そのものではなくその人が制作した事物(作品)とのコミュニケーションに注力することで人間同士の相互評価のゲームとは異なるチャンネルでの対話が可能になるということである。

そして、こうした「事物を通じたコミュニケーション」の一つのあり方として「批評」を位置付けることができる。この点、主に2021年から2023年にかけて宇野氏が執筆した作品評を収録した評論集『2020年代の想像力』において、現代における「批評」のあり方について次のように述べている。

まず同書は今日は「現実」が「虚構」に対して優位な時代であるという。かつて20世紀は映像技術(劇映画)と放送技術(テレビ)の飛躍的な発展により人々がこれまでにないレベルで「他人の物語」に感情移入できるようになった時代であった。これに対して21世紀の今日は情報環境(インターネット)の劇的な変化により人々がやはりこれまでにないレベルで「自分の物語」を発信できるようになった時代であるといえる。

人間とは本質的にそれがどれほど希少でも「他人の物語」を観るよりも、それがどれほど凡庸でも「自分の物語」を語る方が好きな生き物である。今日の情報環境がもたらす「他人の物語」から「自分の物語」への不可逆的なパラダイムシフトは「虚構」の「現実」に対する相対的な敗北を意味している。いまや人々は「虚構」における「他人の物語」に没入する快楽から「現実」における「自分の物語」に承認を与えられる快楽にその関心を移し始めるようになった。

このように「虚構」と「現実」のパワーバランスはいま確実に後者に傾いている。こうした今日的な傾向は小説や映画やアニメといったコンテンツを消費する態度にも現れている。すなわち「作品そのもの(虚構)」以上に「作品についてのコミュニケーション(現実)」に関心を置き、例えばある作品を皆で支持したり、あるいはある作品を皆で批判したりすることで自身の承認欲求を安易に満たすような態度である。換言すれば現代とは「作品を鑑賞する行為(受信)」が「作品を使って承認を獲得する行為(発信)」に圧倒されつつある時代であるといえるのである。

こうした「現実」が優位する時代において本書はいまや世界から次第に忘れられつつある「虚構」だけが表現できる価値に注目する。「虚構」だからこそ描き出せるものに触れることではじめて「現実」に対して適切に対抗(対応)し得るのであると同書はいう。

ここで同書のいう「作品についてのコミュニケーション(現実)」の「作品そのもの(虚構)」に対する優位は『砂漠と異人たち』において提示された「問題についてのコミュニケーション」の「問題そのもの」に対する優位という問題意識とまっすぐにつながっている。こうした意味で同書は「作品についてのコミュニケーション(現実)」ではなく「作品そのもの(虚構)」と向き合う「批評」というかたちで「相互評価のゲーム」とは異なるチャンネルを開く「事物を通じたコミュニケーション」のあり方を示しているといえるだろう。




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