近代的有限性と古代的有限性
1 本能と欲動
人間はある意味で「過剰」を抱えた生き物であるといえる。他の動物と異なり未完成な状態で生まれてくる人間の子どもは神経系的にまだまとまった存在ではないため、生まれてしばらくの間の子どもは過剰な刺激の嵐に晒され、世界はカオスの場として現れる。そして、このような過剰な認知エネルギーをなんとか制限し、整流していくというのが人間の発達過程ということになる。
この点、精神分析の世界ではこのような過剰な認知エネルギーを「欲動」と呼ぶ。人間の根底にはその一方で哺乳類としての「本能」があるかもしれないが、それは流動的で可塑性を持った「欲動」のレベルにおいて一種の本能からの逸脱として再形成されることになるのである。
したがって人間は「本能」のままに生きているわけではなく、流動的で可塑性を持った「欲動」に突き動かされた結果として常に「本能」から逸脱した倒錯的な存在であるといえる。例えば我々がいわゆる「正常」だと思っている価値規範も、たまたまマジョリティの逸脱傾向と一致しただけの「正常という逸脱」「正常という倒錯」に過ぎないということである。
2 欲望の在り処
そして、このような過剰な認知エネルギー=欲動を制限して「有限化」することを「主体化」という。この点、生まれてしばらくの間の子どもはまだ自己が成立しておらず〈母〉との一体的な状態な段階が想定されている(ここでいう〈母〉とは実際の母親に限らず、子どもにとって始原的な母子一体の世界を形成する「養育者的立場にある他者の場」を指している)。
このような広い意味での〈母〉を子どもは必要としているが〈母〉は常に自分のそばにいてくれるわけではなく、時に子供の前から突然いなくなったりすることもある。このような〈母〉の「現前」と「不在」の理由がわからない子どもは不安な状態に置かれる事になる。このような状態を精神分析では「疎外」という。そしてこれが「有限化=主体化」が始まる契機となる。
そこにもうひとりの人物が介入する。これが〈父〉である(ここでいう〈父〉とはやはり実際にの父親に限らず、子どもにとって始原的な母子一体の世界を切断する「第三者的な他者の場」を指している)。こうした〈父〉の介入を精神分析では「去勢」という。
こうして子どもにとって始原的な母子一体の世界はまず〈母〉の現前と不在により崩れ、そしてその究極的な理由は〈父〉という第三者に求められることになる。
すなわち「去勢」とは原初的な母子一体の世界にはもはや戻れないという決定的な「欠如」を子どもに引き受けされるプロセスを指している(厳密に言えば「去勢」を経ることで「かつてあったはずの」原初的な母子一体の世界という神話が遡及的に想定されることになる)。そして、こうした「去勢」による〈母〉の決定的な「欠如」を埋めようとする運動が「欲望」である。
3 想像界・象徴界・現実界
精神分析中興の祖にして時に構造主義の代表的論客としても位置付けられるフランスの精神分析家ジャック・ラカンはこのような過剰性を抱えた人間が「有限化=主体化」を果たすプロセスを捉えるための独創的な(そして極めて難解な)精神分析理論を構築したことで知られている。
まずラカンは大きく「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの領域で人の精神を捉えている。第一の「想像界」はイメージの領域を指しており、第二の「象徴界」は言語の領域を指しており、この二つの領域が合わさって人間の認識を成り立たせている。つまり、ある事物はイメージによって知覚され、それが言語によって区別されるということである。そして第三の「現実界」はイメージでも言語でも捉えられない、つまり人間の認識から逃れる領域を指している。
4 鏡像段階
人の発達段階においてはまずイメージの世界が形成される。まだ自己がはっきりせず、過剰な刺激の嵐に晒されている生まれたばかりの子どもは対象を充分に区分できず全ての境界は曖昧でぼんやりとつながっている。そこに言語が介入してイメージのつながりを「名前」によって切断する。こうして、さまざまな「名前」が世界をさまざまな対象に分けていく。その過程で子どもは鏡の前で自分の「名前」を呼ばれて、そのひとまとまりのイメージを自分のものとして引き受けることになる。このような契機をラカンは「鏡像段階」と呼んだ。
鏡像段階において子どもは自分自身の全体像を鏡によって間接的にしかも反転した鏡像という「他者」の形で見ることになる。すなわち、人は鏡像を通じて自己イメージを手に入れるということである。この点、鏡像段階とはある種の寓話であり、実際の鏡像というのは単に鏡に映った姿だけではなく周囲の他者一般を指している。ここで重要なのは自己イメージとは常に他者から与えられるということである。
5 享楽と対象 a
そして、やがて「去勢」により「想像界」に対して「象徴界」が優位になる。象徴界の優位とは世界が客観化されることであり、それは同時にあの始原的な母子一体的な世界がもたらす「満足」の喪失を意味している。ここでいう「満足」をラカンは「享楽」と呼んだ。この「享楽」があると想定されるのが「想像界」と「象徴界」の外部としての「現実界」である。
そしてこのような「現実界」の断片に見えるような対象をラカンは「対象 a 」と呼ぶ。この対象 a というのは実体のないある種の見せかけであり、人はある対象 a を手に入れたと思った瞬間、また次の別の対象 a を求めてしまうことになる。結局のところ「欲望」とは何からの対象 a を憧憬しては裏切られることを繰り返し、決して到達できない「欠如」の周りを巡っていく終わりなき運動に他ならない。そしてこのような「欠如」として名指される領域こそがイメージにも言語にも還元不可能な「現実界」なのである。
6 近代的有限性と古代的有限性
このようにラカンのいう「有限化=主体化」とは「欠如=現実界」の周囲をひたすら空回りするような人生の在り方である。しかしながら「有限化=主体化」のあり方は何も一つだけではない。
この点、千葉雅也氏は2022年の読書界において広く反響を呼んだ『現代思想入門』の最後の方でこうしたラカン的な有限性に対する別の仕方での有限性を素描している。
同書が扱うフランス現代思想においては、まずはラカン的な「欠如=現実界」をめぐり意味づけが果てしなく失敗し続けるという、同書が「否定神学的X」と呼ぶ図式が意識される段階を経た後に、次にただ一つの「否定神学的X」からより分散的で複数的に諸関係を展開していく議論へと発展していったという変遷がある。
ここで千葉氏は近年のフランス現代思想の潮流である「ポスト・ポスト構造主義」を参照してラカン的な「有限化=主体化」を「近代的有限性」として位置づけた上で、これに対してポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーの後期の議論から抽出した「古代的ポストモダン」から、否定神学から複数性へ向かう議論の解釈として謎のXを突き詰めずに生活の中でタスクをひとつひとつ淡々と完了させていくという、いわば「古代的有限性」というべき主体のあり方を提示している。
7 フーコーから考える
1950年代にフーコーはそのキャリアを心理学者としてスタートさせた。当時、フーコーが発表したいくつかのテクストで主題とした「人間学的思考(喪失したものの回収)」は概ね当時のフランスを席巻してた実存主義や人間主義的マルクス主義へと送り返すことができる。
ところが1960年代に入るとフーコーはかつて自らが依拠していた「人間学的思考」の起源を問い直すことになる。フーコーの実質的なデビュー作と見做される『狂気の歴史』(1961)では近代的意味での「狂気」と「人間学的思考」との間にある共犯関係が明るみに出され、かつてのフーコーが依拠していた「人間学的思考」が、歴史的な文脈の中で検討に付すべき一つの問題として扱われることになった。そして『臨床医学の誕生』(1963)においては「人間学的思考」が依拠する「見えるもの(ポジティヴなもの)」と「見えないもの(ネガティヴなもの)」という二項対立それ自体が問いに付されることになった。
さらにその後、フーコーは、こうした「人間学的思考」の起源へと向かった。「見えるもの」と「見えないもの」との垂直的関係は、歴史の中でどのように成立したのか。そしてそこから至上の主体であると同時に特権的な客体でもあるようなものとしての「人間」が西洋の知の中にどのようにして登場することになったのか。こうした問いに答えようと試みたのが構造主義ブームの最盛期に出版され大きな反響を呼んだ『言葉と物』(1966)であった。
こうして「人間学的思考」からの脱出に一つの区切りをつけた後、1970年代に入るとフーコーは自身の研究テーマをこれまでの知と言説をめぐる分析から、知と権力の関係をめぐる分析へと転回させることになる。
この点、フーコーは権力における「抑圧」や「排除」というネガティヴな側面から、むしろ権力における「生産」というポジティヴな側面に注目するようになる。そしてこのような観点から権力のメカニズムを捉え直した研究の成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」である。ここでフーコーは西洋の刑罰制度における「身体刑から自由刑へ」という処罰形式の転換を「君主権的権力から規律権力へ」という権力のメカニズムの歴史的変容との連関から解明しようとした。
そして翌年に出版された『性の歴史1-知への意志』(1976)においてフーコーは個人の「身体」を「規律」しようとする「規律権力」の傍らに、統計学的調査の対象としての「人口」を「調整」しようとする「もう一つの権力」を描き出していく。これがフーコーが「生政治」と呼ぶ新たな権力である。
そして彼はこのような「規律」と「調整」の両極から人の「生」に積極的に介入しようとする包括的な権力形態を「生権力」と呼び、そこで形成される様々な装置の中で最も重要なものの一つに個人の「セクシュアリティ」を位置付けていく。
ここから1970年代後半のフーコーは「生権力」に関する考察をもっぱら「人口」をめぐる「調整」という「生政治」に焦点を当てて進めていく。ところが1980年代になるとその研究は突然中断され、それまでとは全く異なる新たな探索が開始されることになった。
8「欲望の解釈学」の系譜
ここでフーコーは18世紀以降の権力関係ではなく、古代ギリシア(紀元前4〜5世紀)や帝政期ローマ(1〜2世紀)や初期キリスト教(2〜5世紀)の言説を扱うようになる。その理由としてフーコーは個人の「セクシュアリティ」に注目していくうちに、自己が「欲望する主体」として自身の「欲望」を解釈し、それによって「私が何者であるか」という真理を明るみに出していくという「欲望の解釈学」があまりにも広く受容されていることが明らかになってきたため、こうした「欲望の解釈学」の系譜を辿るためには時代を大きく遡る必要が生じたこと点を強調している。
このような「欲望の解釈学」の系譜を遡るため古代世界を探査するというその新たな研究においてフーコーが強調するのは、古代ギリシアから帝政期ローマを経て初期キリスト教に至るまでに、性に関する規範は一定の連続性が認められる一方で、性に対する考え方には根本的な変化が見出されるということである。
この点、古代の性道徳について従来の歴史観においては、古代ギリシアでは性に関する自由奔放さが容認されていたけれども、やがて帝政期ローマにおいて性に関して節制すべきであるという要請が生じて、これが後の初期キリスト教における厳格な性道徳を準備することになったのだと考えられていた。
これに対して、フーコーは実は古代ギリシアにおいて厳格な性道徳というのはすでに見出されていたという異論を唱えている。けれどもフーコーはそれでもやはり帝政期ローマにおいては性に関する考え方に大きな変容が生じており、さらに初期キリスト教において決定的な差異が生じていると主張する。どういうことか。
まずフーコーは『性の歴史2-快楽の活用』(1984)において古代ギリシアにおける性が決して全面的な自由を享受していたわけではなく、一定の「節制の原則」の下にあったことを、身体、結婚生活、少年愛に関して当時なされた考察を検討することによって示そうとした。
もっともフーコーによればこうした「節制の原則」は万人に対して等しく課されていたわけではなく、あくまで古代ギリシアの「市民」である成人男性が自己を完璧に支配する形を通じて、女性や少年といった他者に対する支配力を示すという「生存の美学」の実践であったとされる。
次にフーコーは『性の歴史3-自己への配慮』(1984)において帝政期ローマにおける性道徳が古代ギリシアにおける「節制の原則」の一層の厳格化によって特徴付けられるとしつつも、それは古代ギリシア以来の伝統の単純な強化ではないことを、やはり身体、結婚生活、少年愛という三つの領域で生じた変容を取り上げることで示した上で「節制の原則」の一層の厳格化の背景にあるものとして彼は「自己への配慮」を中核とした「生存の技法」の発達をあげている。
この点、古代ギリシアにおける「節制の原則」による自己統御は他者統御と分かち難く結び付いていた。ところが帝政期ローマになるとそうした結び付きが緩くなり、自己は自己の問題に専心すべきであるという「自己への配慮」が一般的となった。そして、その「自己への配慮」のもとで自己をめぐるさまざまな問題が--すなわち、自己の依存と独立、自己と他者の絆、自己の管理、自己に対する完全な主権などといった問題が--極めて重要なものとして浮上する。
もっとも、ここでもやはり問題とされたのは、性的快楽をどのように活用すればいいかという一つの実践であり、自分自身の欲望をいかにして解読するかという「欲望の解釈学」と呼べるものは存在していない。こうした意味での「快楽の活用」ではなく「欲望の解読」が問題とされるようになったのは、初期キリスト教においてのことであった。もっとも、フーコーによれば最初期のキリスト教には未だ「欲望の解釈学」と呼びうるようなものは見出せず、それは2世紀から5世紀にかけての変化の中で現れてきたという。
まず、東方の修道制を西洋に伝えたことで知られる教父カッシアヌスは情欲を生じさせる非意志的な動きを、意志を襲う敵として捉えつつ、自己に欺かれないための自己に関する際限なき解釈学的な作業を修道制の修練として課した。これに対して初期キリスト教の正当的信仰教義を確立した教父聖アウグスティヌスは情欲を主体の構造の一部をなすものとして捉え、それによって、欲望の中に我々自身の真理を探ろうとする企てにその端緒を与えた。こうして欲望が不断の警戒および分析の対象とされるようになり、欲望と主体との根源的な関係が打ち立てられることになる。
このようにフーコーの死後30年以上の歳月を経て出版された『性の歴史4-肉の告白』(2018)においては4世紀から5世紀にかけての教父たちの言説の中から「欲望の解釈学」という企てが輪郭を現していく様が描き出されていく。
9 自己への技術
こうしてフーコーは「欲望の解釈学」の系譜を描き出す中で、その探求の出発点にあった個人の「セクシュアリティ」の問題よりも、むしろ自己が自己に働きかけるために用いられる「自己への技術」が、古代世界においてどのように練り上げられて変遷していったのかという問題へと強く惹かれていくことになった。この点、フーコーは古代世界における「自己の技術」を次のように類型化している。
まず古代ギリシアにおける「自己への技術」とは、プラトンの対話篇「アルビキアデス」にあるように、今や忘却してしまった自己の本性である「魂」がかつて神的なものと関わりを持っていた頃に知っていた真理を記憶の底から思い出すことを指している。
次に帝政期ローマにおける「自己への技術」とは、自己をめぐるさまざまな問題をアドホックに自己管理していく「自己への配慮」です。それを顕著なやり方で示しているのが、とりわけストア派を中心とした以下のような実践である。
真理を獲得するために師の言葉に耳を傾けること。そのようにして学んだ真理を自分自身の行動のための原則とすること。そして自分が確かにそうした原則に従って行動しているかどうかを、「自己の検討(良心の検討)」と呼ばれる実践によって日々検討すること。
すなわち、ここでの真理とは、知っていたはずののもではなく、外から学ぶものとなる。そしてこの真理を日々絶えず思い起こし、絶えず活性化していくことで、自己の統御を確固たるものにしていくのである。
最後に初期キリスト教における「自己への技術」とは、これはもちろん自己に対する根本的不信のもとで自己自身の内奥に秘められた罪深き真理を絶えず読み出していくあの「欲望の解釈学」である。そして、こうした「欲望の解釈学」の目的は畢竟、自己を捨て去って他者へ絶対的に服従するところにある。こうしたことから「欲望の解釈学」の実践は、自己が自己を放棄するための終わりなき作業となるのである。
ところで、ここでフーコーが示した「自己への技術」はかつて突然中断した「権力論」との関連でいえば、絶え間なき罪悪感の中で無限に自己反省をし続ける「欲望の解釈学」における主体は「規律権力」における主体の原型であるといえ、自己の問題を即物的に自己管理していく「自己への配慮」における主体は「生政治」における主体と親和的であるといえる。
けれども「自己への配慮」における主体は「生政治」における主体と異なり、権力に「調整」してもらうのではなく、あくまで自己が自己を「管理」するところが異なっている。こうした意味で、もしかしてフーコーは「生権力」に対する抵抗の起点を古代世界の中で探し回っていたのかもしれない。
ここには世界におけるたった一つの「謎」をめぐり無限に空回りするという「近代的有限性」から日常の複数的な問題にその都度に取り組んで解決して行くという「古代的有限性」への折り返しを見出すことができる。そして、これは言い換えれば千葉氏が『勉強の哲学』(2017)で提示したアイロニーからユーモアへの折り返しでもある。
こうした意味で、フーコーが古代世界で探求した「自己への技術」の中にはアイロニー(欲望の解釈学=自己反省)を追求しすぎることなく、ある程度のところでユーモア(自己への配慮=自己管理)へと折り返すような生き方を見出すことができるように思える。
近代的有限性から古代的有限性へ。世界の謎から日常の問題へ。アイロニーからユーモアへ。「過剰」を抱えた我々人間の真の意味での「有限化=主体化」とは、おそらくこうしたダブルシステムを往還する中から生み出されるのではないか。
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