統合失調症論⑴


1 統合失調症とは何か

統合失調症は2002年までは「精神分裂病」と呼ばれていた精神疾患である。主な症状として「妄想」「幻覚」のような陽性症状と「意欲低下」「感情鈍麻」「無為自閉」といった陰性症状がある。これらの症状のほかに患者の社会的、職業的生活における機能のレベルが低下していること、そして、この症状がある程度の期間(6ヶ月以上)持続しており、他の障害ではうまく説明できない場合、統合失調症と診断される。

幻覚や妄想を呈する病が存在することは古代ギリシアの時代から既に知られていた。しかし統合失調症の典型例がはっきりと示された記録が残っているのは19世紀初頭だと言われている。19世末に近代精神医学を確立したドイツの精神科医エミール・クレペリンは当時「緊張病」や「破瓜病」などと呼ばれていた精神機能が急速に衰退する一連の病を「早発性痴呆」というグループへとまとめ上げた。また20世紀初頭、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラーはクレペリンのいう早発性痴呆を「スキゾフレニア」と呼称した。「スキゾ」は「分裂」で「フレニア」は「精神」の意味である。記述的精神医学からみた統合失調症の特徴的な症状は以下のようなものである。


2 前駆期

統合失調症の多くは「妄想気分」や「妄想知覚」と呼ばれる前駆期を経て発病に至る。まず「妄想気分」とは目に見えるこの世界は何も変わっていないにも関わらず「何か」が変わったと感じる体験をいう。この体験は世界が何か不穏で不気味なものに感じられる不安感や、あるいは世界が何か肯定的な煌めきに満たされていくような高揚感を伴って現れてくる。

次に「妄想知覚」とは正常な知覚に対して誤った意味づけを与える二段構成の体験をいう。この二段構成をドイツの精神医学者クルト・シュナイダーは「二節性」と呼んだ。シュナイダーは「妄想知覚」を統合失調症に特異的な一級症状に位置付けている。また妄想気分や妄想知覚と同様の構造を持つ病初期の体験として「実体的意識性」と呼ばれる意識の異常がある。

これら統合失調症の発病時に現れる体験の特徴として「原発性(先行する心的体験から導出されない体験であること)」「無意味性(意味のわからない体験であること)」「無媒介性(患者にとって直接的無媒介的な体験であること)」「圧倒性(圧倒的な力を帯びた異質な体験であること)」「基礎性(のちの症状進展に対する基礎となる体験であること)」が挙げられる。ドイツの精神病理学者カール・ヤスパースはこれらの一次性体験を「要素現象」と総称している。


3 妄想

このようにまず統合失調症では一次性=原発性の「何か」が生じるのである。それはその患者がこれまで生きてきた人生の意味の連続性を切断するような新しい「何か」が人生に突然付け加えられるということである。その新しい異質な「何か」が加わるということは患者本人にとっても不可解なことになる。

そして以後その患者はいわば「妄想的人生」を生きていくことになる。このような経過をヤスパースは「病的過程/過程」と呼称した。そして「病的過程/過程」が始まることによってその人の人生が折れ曲がり妄想人生へと展開した時点を「生活史上の屈曲点」と呼ぶ。

もっとも統合失調症の妄想の全てが「一次性=原発性」に生じているわけではない。一次性=原発性妄想体験の後に生じた妄想は患者の妄想的人生の内部では意味の連続性は繋がっており、その限りで了解可能な場合はある。

統合失調症の妄想は、そのほとんどが多かれ少なかれ関係妄想としての性質を有している。言い換えれば「自分だけが何かに関係している」と確信する「思考の異常」こそが、統合失調症の妄想の基本的な構図を規定しているということである。


4 幻覚

統合失調症における「幻覚」とはほぼ「幻聴」のことをいう。もっとも統合失調症における幻聴は最初から他者の声として現れるのではなく、むしろ頭の中にたくさんの雑念(思考や意志)が湧き始めるという体験として現れる。これを「自生思考」と呼ぶ。

自生思考の内容は全く意味不明なものであったり過去の記憶であることもある。そしてこの自生思考は最初は単に「頭の中に言葉が浮かぶ」という体験であるが、次第に感覚性(聴覚的性質)を持ち始め「自分の声が頭の中で聞こえてくる」という体験に変化する。なお、このような段階にある自生思考をフランスの精神科医ガエタン・ガティアン・ドゥ・クレランボーは「精神自動症」とも呼んだ。

自生思考の段階ではまだ思考の自己所属性が保たれていますが、この自生思考が他者化されると「他者の声が外から聞こえてくる」という明確な「幻聴」へ至る事になる。すなわち幻聴は一般に「感覚の異常」と考えられがちですが、妄想と同様に「思考の異常」という事である。

「幻聴」の種類としては「機能幻覚」「対話性幻聴」「命令幻聴」などが挙げられる。「機能幻覚」は現実の生活音の中から何かしらの「幻聴」が聞こえてくる体験である。かの有名な「症例シュレーバー」においても「機能幻覚」の例が見出される。「対話性幻聴」は「声同士が対話する形」と「声と患者が患者が対話する形」という二つのパターンが存在いる。「命令幻聴」は自分の主体性を簒奪するような命令を患者に下す幻聴が命令幻聴である。

5 統合失調症の現象学--世界に棲まうということ

このように統合失調症といえば一般的に「妄想」と「幻覚」の二大陽性症状がまずは思い浮かべられる。ところが統合失調症の概念を基礎付けたクレペリンやブロイラーは知性、思考、感情、意志といった精神機能の衰退ないし分裂を統合失調症の特異的な症状として考えており、幻覚や妄想といった症状はむしろ統合失調症以外でも見られる非特異的な症状として考えていた。

すなわち、統合失調症においては、多くの人にとってはある意味で当たり前な「世界に棲まう」という根本的な様式に何らかの障害があり、そこから派生して様々な幻覚や妄想といった症状が出現しているということである。では、こうした個々の症状を超えたところにある統合失調症の基本障害とでもいうべきものを精神病理学はどのように捉えたのであろうか?

この点、精神病理学において現象学的方法論を導入し、現存在分析の創始者として知られるスイスの精神科医ルートヴィヒ・ビンスワンガーは統合失調症の基本障害を次のような空間論的見地から説明した。

ビンスワンガーによれば我々の生の空間は日常的な広がりを持つ「水平方向」の軸と超越論的な高みに向かう「垂直方向」の軸により構成されている。いわゆる「普通」の人生とは、その水平方向と垂直方向とが程よいバランスを保っていることによって成り立っているということである。こうした状態をビンスワンガーは「人間学的均衡 Anthropologische Proportion」と呼んでいる。

ところが統合失調症の患者ではこのような「人間学的均衡」が崩れてしまっている。つまり水平方向が痩せ細る一方で垂直方向が過剰に肥大化してしまっている。このような状態をビンスワンガーは「思い上がり(常軌逸脱)」と呼んでいる。そしてこうした「思い上がり」とはビンスワンガーがいうところの「自然な経験の一貫性の解体」、すなわち統合失調症の基本障害を脱するための起死回生の手段として行われるという事である。

こうしたビンスワンガーの切り開いた現象学的精神病理学を引き継ぎ発展させたのがドイツの精神病理学者ヴォルフガング・ブランケンブルグである。ブランケンブルグは統合失調症の基本障害の本質に迫るべく、妄想や幻覚といった産出的症状が比較的少ない症例に注目した。次に示すいわゆる「症例アンネ・ラウ」である。


6 症例アンネ・ラウ

アンネは20歳で睡眠薬自殺を図りブランケンブルグのいる病院へ入院してきた。ブランケンブルグはアンネに対して「寡症状性分裂病」という診断を下した。寡症状性というのはつまり症状に乏しいという事である。アンネは妄想や幻覚といった統合失調症に典型的な症状に乏しい一方で豊かな内省性を持っていた。以下はアンネ本人と母親の陳述を元に構成したアンネの生育歴である。

アンネは歩き始めた後、言葉を覚えるのもひどく遅れて2~3歳までかかったが、その後の発育は順調で大きな病気にはかかっていない。小さい時から行儀の良い物静かな子で、同じ年頃の子供たちともあまり遊ばなかった。父親は彼女のやることなすことが気に入らなかった。アンネは一心に勉強に打ち込み14歳頃までは成績も良かったが、15歳ごろから数学が難しくなり成績がやや下がった。母親はこれ以上の学校に進ませても意味がないだろうと考えた。何より父親がうちにほとんどお金を入れないので、経済的な事情でアンネは進学を諦める以外に道はなかった。

高校中退後、商業学校にはいったがその頃はもう人間関係がうまくいかなくなっていた。人並みに恋愛に興味を持つこともなかった。同じ年頃の男子と接近する機会を彼女は意識して避けた。しかしともかくも商業実習時代はまだ幸せだった。勉強は楽しかったし修了成績も悪くなかった。

商業実習を終えたアンネは当時兄が通っていた大学と同じ市にある会社に就職して父親から離れるため家を出て兄の隣に部屋を借りた。兄の友人たちと知り合いになったが、交際らしきものにはならなかった。家を恋しいと思う反面、母親の拘束が強すぎるという感じを持っていた。母親を受け入れて折り合っていくことが以前に比べてだんだん困難になっていった。これに反して父親の行動については彼女はそれは非難しはするものの、あれこれ思い悩むといった風はなかった。

兄が大学を転校したとき、アンネは別の町で家族のための住宅を見つける仕事を引き受けた。彼女の言葉から察すると、彼女は非常な活躍でうまく住宅を見つけたが、それはいわば彼女が最後の努力を振り絞ったといった感じだった。その間に両親の離婚訴訟が進められていた。両親の離婚が彼女にとって悲しいことだったかと問われた時、アンネは熱にでも浮かされたような笑いを浮かべて「いいえ、ちっとも、私にはどうでもいいことなの」と答えた。彼女の探した住宅に母と弟がやってきて、彼らは4人で一緒に暮らし始めた。最初のうちは父親がまだ時々やってきて、騒ぎを引き起こしていった。

その後アンネは化学工場に就職した。仕事はそれなりに面白かったが人間関係がとても難しく彼女には耐えられなかった。他の人たちが変な眼で彼女を眺め、彼女が少しおかしいことに気づいているようだった。彼女は自分はまだ精神的な成長が遅れているのだ、自分はまだ子どもなのだと考えた。とうとう仕事自体も手につかなくなって、彼女は自分から会社を辞めてしまった。何もせずぶらぶらしているわけにもいかず、彼女は寺院の見習い看護婦になった。しかしそこでもやはり仕事に打ち込むことができず、これまでと同じように、いつも考えごとばかりしていた。いろいろな考えや疑問が頭の中にいつも住み着いていた。

〈あたりまえ〉ということが彼女にはわからなくなった。〈ほかの人と同じだ〉ということが感じられなくなった。人はどうして成長するのかという疑問が頭から離れなかった。不自然でへんてこなことを一度にたくさん考えたりした。何事も理解できなくなり、何をしてもうまくゆかず、何もかもが信じられなくなった。こんな状態がもう何ヶ月も前から続いていた。その間彼女は「精神的疲労」の診断書をもらって3週間病欠していた。次第に自殺念慮が強くなり、住み込みの家政婦としての就職が決まった直前にアンネは睡眠薬による自殺を企てる。町中のあちこちの薬局から睡眠薬を70錠買い集めて、それを全部いっぺんに飲んでしまった。

そしてこの自殺未遂事件の1年後、退院したアンネは主に作業療法のデイケアを施され、その後負担にならない程度の条件で家政婦として働いた。アンネの症状は途中何度かの悪化はあったものの全体的には比較的安定していたが、1967年の末に著名な悪化に陥ってしまい以降、彼女の自殺念慮は明らかに再度顕著になっていく。そして1968年の初め、最初の自殺未遂の時と同様、新しい勤め先への就職の直前に彼女は家人の眼を盗んで自らの生命に終止符を打つのであった。


7 自明性の喪失

以上のアンネの症例が記述されたこの本は「自明性の喪失」というタイトルであるが、このタイトルはアンネ自身の言葉から取られたものである。アンネは最終的にあらゆる〈あたりまえ〉なことが不明瞭になるという状態に至る。このような状態をアンネは自ら「私に欠けているのは、きっと自然な自明さということなのでしょう」と述べている。そしてブランケンブルグは「我々がこの患者から聞かされたことばそれ自体が、そのまま我々の世界内存在を可能ならしめるいくつかの条件を指し示している」と述べている。つまり我々が世界にうまく棲めているのはそれが「自明」なことであるからだということである。

「自明」であるということは「自ずから」「理解」できるということであり「自明」であることをわざわざ証明したり深く考えたりする必要がないということである。むしろあまりに「自明」なことは、よくよく考えてみるとはっきりとした根拠によって支えられていないことが多いが、普通は「自明」なことについては誰も根拠を問わないであろう。

我々が人間関係の中でごく自然に振る舞うことができているのは、今この場ではどのようにするのが正しいかを「何となく」理解できているからである。つまり人と人との「あいだ」において、今がどういう状態であり自分を含むそれぞれのメンバーがどう振る舞えばいいのかが間主観的に理解できているからである。それは「自明」なことなのであり、いわゆる「ノリ」と呼ばれるコードに支配された空間とは、まさにそのような「自明」で満ちたものをいる。

ところがアンネにとっては一切の「自明」なことが「自明」であるとは感じられず、その根拠をいちいち自分で考えなければならなくなっている。このように考えると、アンネの体験は極めて現象学的な体験であることがわかる。

この点、現象学では「現象学的還元」と呼ばれる方法を使って、我々が前提としている〈あたりまえ〉を一旦あえて「エポケーする(括弧に入れる)」事で純粋現象そのものに立ち返ろうとする。こうした「現象学的還元」をアンネは四六時中強制され続けていたということである。つまり、アンネにとってこの世界は常にエポケーされたものとして立ち現れていたということである。まさしくこの「生きられたエポケー」こそが統合失調症の基本障害であると考えられるのである。




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