統合失調症論⑸
1 統合失調症と中井久夫
かつて精神病理学や病跡学において統合失調症は理性の解体と引き換えに人間の本質に関わる深淵な真理を開示する病として特権的な位置に置かれ、その研究は「いかにして人の精神が破綻し、統合失調症が発症するか」という発症過程のドラマチックな部分に議論が集中する一方で、その後の慢性化した状態に興味を持つ人はほとんどいなかった。そして、そこには統合失調症は慢性化してしまうと人格が荒廃してしまってもう治らないというニヒリズムともいえる諦めがあった。
ところが、こうした風潮にノーを突きつけ統合失調症は治療により十分に回復可能な病であることをはっきりと示した不世出の精神科医が中井久夫氏である。中井氏は京都大学医学部卒業後、ウィルス学の研究を専門としていたが、1966年、32歳の時に精神医学に転向して以降、医師としての生涯を賭けて統合失調症の探究に邁進することになる。
周知の通り、統合失調症はその名の通り精神の統合機能が阻害されてしまう疾患で、自他の境界が曖昧になり、思考が阻害されたり、様々な幻覚妄想が生じたりする。この病気はかつて「精神分裂病」と呼ばれ、1980年頃まで難治性で進行性の慢性化しやすい疾患であると考えられていた。当時ほとんどの精神病理学者が統合失調症を特異で深刻で人間存在を根底から掘り崩すような疾患だと主張する中で中井氏は一貫してこの考え方に抵抗し、統合失調症は治療によって回復可能な病であることを主張し続けていた。
2 寛解過程論
中井氏は『最終講義--分裂病私見(1998)』において当時の精神医学において統合失調症を「目鼻のない混沌とした病気」だったと表現し「私の目的は分裂病に目鼻をつけることでした」と回顧している。当時の中井氏は下痢や不眠といった患者の身体における事象つぶさに観察し、時系列でグラフ化していった。そして統合失調症の回復にはいくつかの段階があることを示し、特に急性期から回復期に移行する時期を発見し「臨界期(回復時臨界期)」と名付けたのであった。
統合失調症の経過を精密に明らかにしたこの寛解過程論は画期的な研究として精神医学界から驚きを持って迎えられた。中井氏はこの回復の過程でどんな身体的変化が起こるのかを症例をもって実証しながら、慢性状態も普段に変化し続ける寛解の過程に他ならない、つまり治る可能性があることを極めて説得的に示していった。
慢性化している状態をコンディション(状態)ではなく寛解の可能性を含んだプロセス(過程)に読み換えるということ。このパラダイムチェンジは当時極めて画期的なものであったと言われている。ここから慢性期をプロセス、つまり変化し得るものだと考えることで、諦めと惰性が支配的だった慢性期の治療に一筋の希望が生まれることになった。中井氏は「希望を処方する」という言葉を残しているが、寛解過程論はまさに希望を処方する理論であったといえる。
3 風景構成法
そして中井氏は早くから治療に絵画療法を積極的に取り入れていた。その理由はいくつも考えられるが、絵画は言葉ほど侵襲的ではなく、患者を傷つける可能性が少ないため、慢性期の、あまり多くは語らない患者にも適用できるという点がまず挙げられる。絵画療法の導入によって害の少ない形で話題が広がり、また絵の変化によって患者の状態や回復の過程を窺い知ることができるという意義もあった。
そのような中井氏の臨床現場から生まれたのが有名な「風景構成法」である。これは10個のアイテム(川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石)を治療者が一つずつ読み上げて、患者はその都度枠の中に描き入れ、さらに足りないと思うものを描き加えて風景として完成させるというものである。
絵画療法とも描画テストともつかない不思議な手法であるが、言葉数の少ない患者とのコミュニケーションを取り、病の経過を理解する上でとても有効な方法として高く評価され、海外の臨床現場でも用いられている。
統合失調症患者の絵というと病的でどこか不穏な絵というイメージがあり、確かに病期によってはそうした絵を描くこともありますが、中井氏はむしろ良い治療環境で安定した状態で描かれる普通の絵にこそ治療状の意味があると考えていました。
この点、風景構成法は誰が書いても普通の絵になるような工夫が施されている。例えば指定されたアイテムをその都度書き込んでいくので全体の構成をイメージしておくことが難しく、どんな人でもあまり上手な絵にはならないし、また10個のアイテムがごく普通のものなので不気味な絵にもならない。すなわち、病理に引き摺られることなく、いかに本人の中にある健康なものを引き出すかに配慮して作られた手法だと考えることができる。
4 自分が世界の中心であると同時に世界の一部である
中井氏は統合失調症は特異な素因を持つ人の病であるというスティグマにつながる考え方を否定し、誰しもが発症しうる病であると繰り返し訴えていた。
では統合失調症を発症した人としていない人の違いは何か。その問いに彼はシステム論的な発想からアプローチしている。すなわち、人間には病原体から体を守る免疫システムのように自他を区別し続けるためのシステムがあり、このシステムの維持のために不断にエネルギーを注いで統合失調症状態にならないようにしていると中井氏は考えていた。
言い換えればこのシステムがうまく作動しなくなれば、誰でも発病する可能性があるということである。統合失調症の発病過程として氏は脳の中のわずかな異常が少しずつ広がりやがて脳全体を巻き込んで異常な活動状態になってしまうモデルを想定し、その過程を原子炉の暴走に喩えている。
そして統合失調症の寛解過程の中で中井が特に事細かく観察したのが回復期の患者に起こるさまざまな事象である。回復の進み具合は絵画療法で描かれる絵の変化や夢を見るかどうかに現れる。夢は発症当初にはほとんど見られず、回復期に入ると増えてくる。
このほかの回復の目安として一見矛盾する認識の両立が挙げられる。中井はよく「自分が世界の中心であると同時に世界の一部である」という表現を使っている。統合失調症の方はどちらか一方に偏りやすく急性期に妄想に支配されている時は自己中心的になり、回復期になると今度は自己を抑えすぎて周囲に助けを求めにくくなる傾向がある。矛盾するものの間で折り合いをつけ両立させられるかが回復や精神健康の度合いを知るポイントとなるという指摘は極めて重要である。
また中井が回復の目安として重視していた要素に「あせり」と「ゆとり」がある。統合失調症急性期の患者は乱数発生能力に著明な障害が生じることで知られている。「ゆとり」がなければ既存の秩序に従うしかなく「ゆとり」があればでたらめを作ることができるということである。
5 統合失調症の人類史
また中井氏は日々の臨床と並行して統合失調症を人類史的視野で検証するという壮大なテーマに取り組んでいる。『分裂病と人類』(1982)において氏は統合失調症的な気質を持つ人として「S親和者(分裂病親和者)」という概念を提示している。そして狩猟採集時代にはこの「S親和者」がリーダーシップをとっていたのではないかという大胆な仮説を提示し、時代によって主役となる気質が入れ替わることを人類史という壮大な規模で論じている。
このような発想の背景には氏の盟友でもあった木村敏氏が提唱した様々な精神病理を時間意識から捉える「祝祭論」と呼ばれる議論がある。木村氏は統合失調症者における未来を先取りする時間意識を「アンテ・フェストゥム(まつりのまえ)」と呼び、うつ病者における過去に固執する時間意識を「ポスト・フェストゥム(あとのまつり)」と呼んだ。
このような木村氏の「祝祭論」を踏まえ中井氏はアンテ・フェストゥム的意識を「微分回路(変化に敏感に反応するが、とても疲弊しやすい回路)」として、ポスト・フェストゥム的意識を「積分回路(過去のデータベースを参照しながら変化に反応し、不測の事態には対応できない回路)」として表現している。
この点、狩猟採集時代において人類と野生動物と互いに狩り狩られる関係にあり、動物の兆候にいち早く気付き先手を打って仕留めたり、あるいは逃げたりできる人ほど生存可能性が高かったと思われます。また当時は水や採集できる食料もそれがどこにあるかを敏感に感じ取る力がある方が生存に有利だったと思われる。こうしたことから「S親和者」の持つほんのわずかな兆候に敏感に反応する兆候優位的な気質は狩猟採集時代には決定的な力を持っていたと考えられる。
ところが農耕社会が誕生すると計画通りに農作業を行うための秩序が重んじられるようになり、過去・現在・未来へ流れていく客観的な時間の成立が権力や宗教を生み出した。こうして狩猟採集時代には生存に優位だった兆候優位的な気質は農耕社会においてはその優位性が失われるだけではなく、やがて社会からの逸脱として扱われるようになった。もっとも、中井氏の指摘するように人類全体の存続の上で前例なき大破局の兆候を感知できる「S親和者」の持つ特性はいまだに必要されているといえる。
6「立て直し」と「世直し」
その一方、同書で中井氏は「S親和者」とは対照的な「執着気質」についても分析している。ここでいう「執着気質」とは昭和前期に下田光造が「うつ病の病前性格」として提唱した概念であり、非常に勤勉で真面目、人に配慮ができ社交的で秩序に従順という性格傾向を持っている。
中井氏によれば仕事に対する真面目さや勤勉さを持つ執着気質は江戸時代中期以降、職業倫理として日本に根付くことになった。この「執着気質的職業倫理」を体現する存在として中井氏は二宮尊徳(二宮金次郎)を位置付けられる。勤勉と倹約によって生家を再興し、さらに指導者として荒廃した農村をいくつも蘇らせた二宮の行動の根底には、没落や荒廃からの復興という、いわば「とりかえしをつけよう」とする「立て直し」の倫理があるということである。このような二宮尊徳が体現した勤勉と倹約を美徳とする「立て直し」の倫理は長らく日本人のロールモデルとして位置付けられてきた。
もっとも江戸時代には「立て直し」の倫理と対立する「世直し」の倫理も存在した。のちに討幕運動や自由民権運動にも連なっていくこの「世直し」の倫理の特徴は「S親和者」の気質そのものでもある。その上で中井氏は「立て直し」は「世直し」の人を絶えず「立て直し」にくり込み、ついにくり込めない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性を持っていると指摘している。
そして、このような「くり込み」の動きは現代においても失われていないと思えるところがある。中井氏が同書に収録された論文を執筆した1970年代における生活臨床、デイケア、作業療法では「S親和者」を勤勉労働者に矯正するという使命感が支配的であった。そして現代においても精神疾患で休職した人が職場復帰に向けた準備を行うリワークプログラムが盛んに行われているが、こうしたプログラムも執着気質的な適応倫理を回復することを目標とする面があるといえるだろう。
7 希望を処方するということ
中井氏は統合失調症は特異な素因を持つ人の病であるというスティグマにつながる考え方を否定し、誰しもが発症しうる病であると繰り返し訴え、患者の尊厳を徹底して尊重することがそのまま治療やケアにつながることを一貫して主張してきた。また中井氏が患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして強調しているのが「心の生ぶ毛」と呼ぶ人の心が持っている柔らかな部分である。中井氏は次のように述べている。
「私たちは「とにかく治す」ことに努めてきました。今ハードルを一段上げて「やわらかに治す」ことを目標とする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は「心の生ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にする治療です。
分裂病の人のどこかに「ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。」
(『最終講義--分裂病私見』より引用)
自発性や主体性が失われ感情の平板化や鈍麻が生じている慢性期の統合失調症患者は中井氏のいう「心の生ぶ毛」が損なわれた状態にあるといえる。ここでいう「心の生ぶ毛」とは心の健康度を測る大事な要素の一つであり、中井氏はこのような「心の生ぶ毛」を大切にする治療を強調していた。こうした観点からいえばリワークプログラムなどによる社会復帰の局面においても当事者の「心の生ぶ毛」を守りながら適応を目指していくといったきめ細かな支援が求められるだろう。
あるいはまた、ここで中井氏がいう「心の生ぶ毛」とはより広く、人それぞれが持っているその人だけの特異的な部分とも解することもできるだろう。すなわち「S型親和者」に限らず人はそれぞれ、その人だけの「特異性」を抱えた存在として、社会における「一般性」との間で折り合いをつけながら生きているともいえる。
この点、中井氏が記述した「S型親和者」をめぐる壮大な人類史がまさにそうであるように、こうした人それぞれが持つ「特異性」は時代や社会といった「一般性」との諸々のめぐりあわせに幸運にも恵まれると、何かしらの「個性」として承認されるが、そのようなめぐりあわせに不幸にして恵まれなければ、端的に「社会不適合者」などとレッテルを貼られて排除されることになるだろう。
けれども、このような「個性/社会不適合者」を始めとして「正気/狂気」「本物/偽物」「正義/悪」「友/敵」といった様々な二項対立もやはり、あるめぐりあわせからたまたま生じた仮固定的な産物に過ぎず、それらはまた別のめぐりあわせによる訂正可能性を常に孕んでいる。こうした意味で人それぞれが持っている「特異性」としての「心の生ぶ毛」を深くまなざした中井精神病理学の思想は精神医療の領域のみならず、対人援助、文化論、社会思想といった様々な領域においても「希望を処方する」ことができる開かれた可能性を持っているといえるのではないか。
以下では、こうした「心のうぶ毛」を深くまなざした統合失調症の治療実践として「当事者研究」と「オープン・ダイアローグ」を取り上げる。
8 当事者研究
向谷地生良氏が設立した「べてるの家」は1984年に北海道浦河町に設立された精神障害等を抱える当事者の地域活動拠点であり、今では「当事者研究」の先駆けとしても知られている。
統合失調症の症状に由来する「爆発」がおさまらず行き詰まっていた青年に向井地氏が「一緒に研究してみないか」と声をかけたところからはじまった「当事者研究」とは当事者が自らの「苦労」をグループの前で発表することで参加者と共にその「苦労」のパターンを明らかにしながら自分の助け方を考えて、ソーシャルトレーニング(SST)と呼ばれる当事者主体の運用が可能な訓練技法によって自分の助け方を練習していくという一連の活動を指している。
このような当事者研究においては、これまで当事者があいまいな形で抱えていた「苦労」をきちんと言語化して仲間とシェアすることにより、例えば自分を侵襲する迫害的な幻聴が対話の相手である「幻聴さん」になっていくというように「症状」と呼ばれていたものの性質が大きく変化することになる。
そしてこうした「苦労」のシェアにより当事者の周囲においても「爆発を繰り返す〇〇さん」という理解から「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている〇〇さん」という理解に変わり、その人の抱える「問題」がその人自身から切り離されることになる。
また当事者研究のプロセスにおいては、例えば「統合"質"調症・難治性月末金欠型」というような「自己病名」が案出されることがある。このように自身の「苦労」にオリジナリティを与える「自己病名」は当事者が自分自身の個別性を回復する試みの一環であると同時に、自身の抱える「苦労」をユーモアと共にシェアするきっかけにもなるのだろう。あるいは当事者が自身の「苦労」を特異的=単独的なものとして引き受ける「自己病名」とはまさに「サントーム」というべき「症状」の「発明」であるともいえるかもしれない。
9 オープンダイアローグ
フィンランドの西ラップランド地方トルニオ市にあるケロプダス病院のスタッフを中心に開発された「オープンダイアローグ(OD)」は、従来、薬物や入院が必須と考えられていた急性期の統合失調症を「対話」の力で寛解に導くことで精神医療に大きなインパクトをもたらした。
ODの実践は一見、極めてシンプルである。クライアントやその家族から電話などで支援要請を受けたら24時間以内に治療チームが結成され、クライアントの自宅を訪問。治療チームと本人、家族、友人知人らの関係者が車座になって対話が行われる。
この対話においてはすべての参加者に平等に発言の機会が与えられる。ミーティングは1回につき1時間から1時間半程度。ミーティングの最後にファシリテーターが結論をまとめる。本人抜きではいかなる決定もされないことも重要な原則である。何も決まらなければ「何も決まらなかったこと」が確認されることになる。このミーティングはクライアントの状態が改善するまで、ほぼ毎日のように続けられる場合もある。
このようにODの特色は治療者側が「チーム」で介入する点にある。チームは精神科医、看護師、臨床心理士などで構成されるが、チーム内での序列はない。皆が自律したセラピストとして対等の立場で対話に加わるのである。
そして、今後の治療方針を決める治療者同士の話し合いも患者側の前で行われる。これは「リフレクティング」と呼ばれる家族療法家のトム・アンデルセンによって開発された技法である。診断、見通し、治療方針に関する議論を全て患者の前で開示することで、さらなる対話が促進され患者の意思決定も容易になるということである。
こうしてODでは対話の場に参加者の言葉が投入されることで、自律性的に作動する対話システム(対話クラウド)が形成される。対話システムが作動する目的はその作動それ自体がであり、こうした作動の結果として、患者の中で「新しい現実」が創出され、その副産物、ないし廃棄物として症状の改善や治癒が降ってくるというイメージである。
10「思い上がり」の病としての統合失調症
このような「当事者研究」と「オープン・ダイアローグ」に共通するのは「垂直方向から水平方向への方向転換」である。
精神病理学者ルートヴィヒ・ビンスワンガーによれば人間とは本質的に「思い上がる存在」であるとされる。我々が生きる生の空間には自身を理想の極みに導こうとする「垂直方向」と、自身の経験や視野を広げていこうとする「水平方向」という二つの方向があり、通常ではこの二つの方向が「人間学的均衡(Anthropologische Proportion)」と呼ばれる適度なバランスを保ちながら拡大・縮小を繰り返しているが、時に人間は己の「水平方向」の広がり具合に不釣り合いなまでに「垂直方向」が肥大化することがある。
このような「垂直方向」の肥大化をビンスワンガーは「思い上がり(Verstiegenheit=奇矯な理想形成)」と呼んだ。けれども「水平方向」への均衡を欠いた「垂直方向」への「思い上がり」は、あたかも蝋の翼で太陽に接近しようとしたイカロスの如く最終的には墜落=挫折してしまう運命にある。そして、こうしたビンスワンガーにおける「思い上がり」という空間的モチーフは統合失調症患者の発症状況の綿密な観察によって得られたものであった。
この点、ビンスワンガーは統合失調症を人間学的視座から徹底的に究明しようとする中で、病者は病前から世界の中の事物のもとに安心して逗留することができておらず、その状況に勝利するか敗北してしまうかという、いわば二項対立的な危機に陥ると考えていた。このような統合失調症の基本障害をビンスワンガーは「自然な経験の非一貫性」と呼んでいる。
この危機的状況において病者が勝利するために選択するのが「思い上がり」という墜落=挫折を運命づけられた理想形成である。病者は世界の水平方向において安らいで住まうことができておらず、垂直方向において文字通り命懸けの跳躍を行うが、その跳躍は破滅的な急降下へと帰着しまい、病者は自らが高く掲げた理想と矛盾したり理想を拒否したりするような側面に晒され、己の主体としての座を他者に明け渡してしまうことになるのである。
すなわち、統合失調症という病理はビンスワンガーのいうところの「人間学的均衡」が崩れ「水平方向」が痩せ細る一方で「垂直方向」が過剰に肥大化してしまっている状態にあるということである。
11 ハイデガー哲学における頽落と先駆的覚悟性
このようなビンスワンガーによる垂直方向の特権化は彼が自身の精神病理学理論を構築する際に参照した哲学者マルティン・ハイデガーの『存在と時間』(1927)に由来している。
ハイデガーによれば我々は「現存在(世界内存在)」として世界の中に投げ込まれており、そこで遭遇する他者である「共存在」に「顧慮的気遣い」を行いながら関係することになる。ここでいう「顧慮的気遣い」には、他者を文字通りに気遣い、思いやったり愛したりする態度のみならず、無視したり罵倒したりする態度も含まれる。そして、こうした「気遣い」には二通りの気遣いがハイデガーが「非本来的」「本来的」と呼んでいる「現存在」のあり方に対応している。
この点、ハイデガーのいう「非本来的」なあり方とは、もっぱら常識的で世俗的な「平均的日常性」を生きる態度である。例えば家族、恋人、友人といった「世人」と面白可笑しく「空談」することで、あるいは美味しいものを食べたり、旅行したりして「好奇心」を満たすことで、我々はやがて到来する「死」から目を背け「生」の安寧を得ている。これはハイデガーに言わせれば「頽落」と呼ばれる「非本来的」なあり方である。
これと反対にハイデガーのいう「本来的」なあり方とは、我々が己が時間との関係の中で本来的な将来としての「死へと関わる存在」であることを了解する「先駆的覚悟性」と呼ばれる態度である。そしてハイデガーによれば、この「先駆的覚悟性」の中でこれまで共同体の中で歴史的に継承されてきたものが伝承される「遺産の伝承」が生じるとされている。
このようにハイデガーにおいては「水平方向」を「非本来的」なものとして価値下げする一方で「垂直方向」を「本来的」なものとして優位に位置付けている。そして、こうしたハイデガーの垂直方向重視のパラダイムをビンスワンガーもまた引き継いでいるということである。
12 症例イルゼ
以上のように要約されるビンスワンガーの統合失調論は以降の精神病理学の思考を決定的に特徴づけることになった。それは端的にいえば病者の棲まう人間学的空間が自分と超越的他者のあいだの垂直方向の関係で飽和する「垂直方向の精神病理学」といえる。しかし、このような垂直方向を重視する思考は統合失調症という精神疾患を特権化する「統合失調症中心主義」を招く一方で肝心の「治癒のための理論」としては不十分であったといわざるを得ない。
事実、ビンスワンガーの主著『精神分裂病』(1957)では綿密な観察に基づく五つの症例が取り上げられているが、そのうちの四症例が治癒に至っていない。エレン・ウェストは服毒自殺によって命を落とし、ユルク・ツュントはおそらくその一生を精神病院で終えている。また、ローラ・ヴォスは退院はできたもののその妄想は慢性化し、シュザンヌ・ウルバンは姉によって半ば無理やり退院させられたものの人格水準の低下が著名であったといわれている。
もっとも、その一方で同書が取り上げる五つの症例のうちで唯一、治癒に至ったとされる症例がいわゆる「症例イルゼ」である。この症例の概要は次のようなものである。
イルゼという女性患者は幼少期から父に対して熱狂的な愛情を持ち、彼を偶像的に崇拝していた。しかし彼女の父は母に対して日常的に家庭内暴力を働いており、イルゼはそのことに反感を持つようになった。
父に対する愛情と反抗というこの解決不可能な矛盾がイルゼの生を不調和状態に陥らせ、彼女は世界の中に自然に逗留することができず「自然な経験の非一貫性」に苦しむようになる。そして彼女は、この不調和状態を燃えさかるかまどの中へ右手をつっこむことによって一挙に解決しようとするのであった。
イルゼのこの「思い上がった」行為は、確かに父の母に対する家庭内暴力を一時的に停止させはするものの、状況にそぐわない突飛なものであったがゆえにその効果は一時的なものでしかなかった。そして保養所へと入院した後、幼少期から彼女の人生を規定していた「父への愛」というテーマと、父のために手を焼くという「自己犠牲」のテーマがイルゼ自身を圧倒するようになる。
「父への愛」と「自己犠牲」はかつては「自分が父を愛する」「自分が犠牲となり父の家庭内暴力をやめさせる」という能動的なものであったが、今や受動的な形を取り「他者たちが自分を愛する(がゆえに自分も他者たちを愛さなければならない)」という形をとる恋愛妄想と、自ら能動的に他者(父)の犠牲になるのではなく受動的に他者たちの犠牲になるという関係妄想として結実する。
しかしイルゼは比較的早期に治癒し、その後、統合失調症を再発することはなかった。この点、ビンスワンガーによれば、それは彼女が垂直方向の「理想(父)」に向けた思い上がった理想形成をやめて、その代わりに心理カウンセラーとして水平方向の「隣人」への援助を行うようになったためであると述べている。
もっともビンスワンガーは統合失調症の発病と経過を「思い上がり」という観点から把握することを通じて垂直方向を特権化する一方で肝心の治癒に関わると想定される水平方向についてはほとんど議論を深めることはなかった。
13 水平方向の精神病理学
こうした中で精神病理学者の松本卓也氏は「症例イルゼ」に伏在していた「水平方向の精神病理学」の構想を提示する。氏は「水平方向の精神病理学に向けて」という論考において向谷地氏の次のような言葉を引用して、統合失調症から回復はしばし「垂直方向から水平方向への方向転換」がきっかけとなってはじまることが経験的に知られていると述べている。
「向谷地 面白いのはね、そういう(妄想の)話をしていくなかに、(身近な)他者が出てこないんです。さっきの神様とのテレパシーもそうだけど、話題はつねに「テレパシーと神」なんですよ。
--神と一対一なんですね。
向谷地 リアルワールドじゃない「アナザーワールド」のなかでその関係に苦しんでいるんです。食事がまずいとかおいしいとか、誰々さんのことが好きだとか嫌いだとか、そういうリアルな現実との話がほとんど出てこないんですよ。だから、そういう話が出てくると、「あっ、回復が始まったな」と思う。むしろ、そういうことをいかに起こしていくか、ってことです。」
(『精神看護』19巻2号「向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?・1--その神様ってどのへんにいるんですか?」より)
ここで向谷地氏が述べている「神様とのテレパシー」という「アナザーワールド」と「食事」「誰々さん」という「リアルワールド」とはそれぞれ、松本氏のいう「垂直方向」と「水平方向」に対応している。
もっとも、松本氏は統合失調症の回復において水平方向を重視するとしても垂直方向が無効化されるべきではないと述べ、むしろ水平方向の重要性が再確認されることで垂直方向と水平方向の新しい「人間学的均衡」が生まれる可能性があるといい、こうした実践としてオープン・ダイアローグに注目する。
氏によればODは「専門家や患者といった単一の声(モノフォニー)を持つ人物が主体の座を占めることに反対し、多数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間へと主体を溶解させることを企図するという意味で、反-主体的ないしポスト-主体的な実践なのである」ということになる。
もっとも氏はODは垂直方向の運動すべてを否定するような実践ではなく、むしろ、ODにおいて重要とされる対話には全ての参加者の間で行われる「水平のダイアローグ」と、それによって触発された個人での内部での「内なる声」との「垂直のダイアローグ」の二つがあり、この二つの方向の協働が重要であるという。
では「水平方向の精神病理学」はいかに構想されるのか。先述したようにビンスワンガーの「垂直方向の精神病理学」はハイデガーの哲学が基盤となっている。これに対して松本氏が「水平方向の精神病理学」において参照するのがフランスのポスト構造主義を代表する哲学者ジル・ドゥルーズである。ハイデガーが20世紀前半を代表する哲学者の1人であったならば、ドゥルーズは20世紀後半を代表する哲学者の1人である。
ドゥルーズはその主著の一つである『意味の論理学』(1969)において我々の生きるこの世界を「高所(真/偽の場)」「深層(物体の場)」「表面(意味=出来事の場)」からなる三層構造で捉えている。そしてドゥルーズはこの三層構造にそれぞれプラトン主義、ニーチェ主義、ストア哲学を対応させている。
この点「高所」への上昇と「深層」への下降は垂直方向への運動といえる。これに対して、ドゥルーズが「表面」と呼んでいるのは「高所と深層から独立し、高所と深層に対抗する」ものでありいわば「反・垂直方向」の哲学が思考するフィールドである。松本氏は『意味の論理学』が「高所」や「深層」ではなく「表面」の追求に向かったものであることを考慮すればドゥルーズの思想ははっきりと「反・垂直方向」に向かうものであると考えられるという。
また晩年のドゥルーズは『批評と臨床』(1993)においてプラトン主義における神々の言葉の吹き込みによって生じる「神的な狂気」と神々とは関わりのない人間的な狂気である「病気としての狂気」の区別を反転させ、むしろ神々によって支えられた垂直方向の狂気こそを「病気としての狂気(思い上がった狂気)」であるとして、反対に神々によって裏打ちされていない水平方向の狂気こそが「健康としての狂気」であると主張した。
なお『意味の論理学』においてドゥルーズは「深層」を体現する作家としてアントナン・アルトーを位置付け「表面」を体現する作家としてルイス・キャロルを位置付けている。同書の第13セリーの最後でドゥルーズは「キャロルの全てを引き換えにしても、われわれはアントナン・アルトーの一頁も与えないだろう」と述べアルトーを称賛する一方で、その直後、すぐさまに「(キャロルが描く)表面には、意味の論理のすべてがある」とも述べている。
そして『批評と臨床』においてドゥルーズはキャロルは「表面」の言語を獲得することで「深層」から華麗に逃れることができたといい、こうした「表面」の言語によって書かれた文学こそが、文学の描く世界のすべてになりうるとまで断言しているのである。すなわち「水平方向の精神病理学」においてはこうした「表面」にこそ光が当てられるということになるだろう。
そして、このような松本氏が提唱する「水平方向の精神病理学」における思考は統合失調症論以外のメンタルヘルス一般のケア論にも拡大して適用することができるように思える。
例えばひきこもり支援の専門家として知られる精神科医の斎藤環氏は思春期や青年期に多く見られる自己愛の否定的な発露として「自傷的自己愛」という概念を提唱している。斎藤氏は精神科医として、30年以上に及ぶ臨床経験に基づき「ひきこもり」を「困難な状況にあるまともな人」とみなすことを提唱している。そして往々にして「ひきこもり」の当事者は、こうした「まとも」であるがゆえに現在の状況が家族の負担になっており世間的な価値観からも批判される状態にあることをよく自覚しており、その結果、彼らは「セルフスティグマ(自分は無価値な人間であるというレッテルの内面化)」を自身に貼り付けてしまい、こうした状況での周囲からの励ましの言葉はしばし逆効果となることがある。
そして斎藤氏は「ひきこもり」の人々に限らず「自分が嫌い」な人たちというのは、自己愛が弱いのではなくむしろ自己愛が強いのではないかと述べている。つまり、彼らの自己否定的な発言は自己愛の発露としての自傷行為なのではないかということである。その根拠の一つとして氏は彼らが自分自身について、あるいは自分が社会からどう思われているかについて、いつも考え続けているという点を挙げている。だとすれば、それはたとえ否定的な形であり自分に強い関心があるという、紛れもなく自己愛の一つの形といえる。こうした逆説的な感情こそが斎藤氏のいうところの「自傷的自己愛」である。
この点、斎藤氏は自傷的自己愛の歪さを「プライドは高いが自信がない」という端的な言葉で表現している。ここでいう「プライド」とは「かくあるべき自分(自我理想)」へのこだわりのことをいい「自信」とは「今の自分(理想自我)」に対する無条件の肯定的感情のことをいう。これはまさにプライド=垂直方向が肥大化して自信=水平方向が痩せ細っている状態といえる。それゆえに自傷的自己愛の修復においてもやはりまた、垂直方向と水平方向の「人間学的均衡」が必要になってくるといえるのではないか。
また、このような垂直方向と水平方向の二つの相を日本の現代思想シーンの中に位置付けてみると、それは大陸哲学と分析哲学の相であり、また精神分析と認知行動療法の相であり、あるいは否定神学システムと郵便=誤配システムの相であり、同時にアイロニーとユーモアの相であり、さらにはセカイ系と日常系の相であるといえるだろう。こうしてみると人文知一般を横断的に思考する上でも垂直方向と水平方向という二つの相は極めて強力な参照枠となり得るようにも思われる。
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